ニュースレター第80号「研究の現場から」

比較文明から見たデジタルアーキテクチャ       

                                           佐野 仁美

 慶應義塾大学はインターネット黎明期からその開発の舞台となってきた。文明規模にまで拡大する情報社会の進展を鑑み、インターネットの祖父、父と呼ばれるネットワークの研究者によって2018年にサイバー文明研究センター(以下、CCRC)が設置された。また、慶應義塾を創立した福澤諭吉は西洋文明を啓蒙した第一人者であることから、文明の転換期においてCCRCは世界でも類を見ない比較文明の現場である。

 西洋科学文明は、目で観察できる物理法則を理解し制御し生産の一部をオートメーション化する産業革命をき っかけに西洋から発展した。一方、情報文明は、大規模なデジタルインフラストラクチャーを重層的に設計し目に見えない情報のやりとりを制御しグローバルに進化する。即ち、情報文明は地球文明であり人智の情報制御のアーキテクチャが地球を覆う。

 インターネットに関連する技術も開発者も数多く存在し、さらにユーザーもあらゆる形で大規模かつ自律分散的なアーキテクチャの維持に関わるため、インターネットという慣れ親しんだ概念に対して十人十色の幅広い印象が存在しうる。また、その原型として1969 年以降のARPAネットの開発が起源であると強調されるが、同年にベル研究所でUNIXが開発され10年後にオープンソースによるソフトウェア展開として、カリフォルニア大学バークレイ校によるインターネットが組み込まれたOSや基盤技術、電子メールなどのアプリケーションが世界に展開した流れが重要である。情報技術は複雑に関連し合い、その進化の中で社会の広範に影響が及ぶ。近視眼的に情報文明の源流であるアーキテクチャを解釈することは容易ではない。巨視的な分析を可能にする比較文明こそ情報文明の構造を見出す尺度となりうる。短い歴史で巨大に発展した人々を繫ぐ技術の設計を改めて問い直し未来の議論に繫いで行く余地がある。

 CCRCセンター長の一人デービッド・ファーバーは、後にインターネットバックボーンとして運用されるNSFNET (National Science Foundation Network) つまりthe Internetの元型を、1981年全米の大学の計算機科学部門を繫ぐ学術ネットワークCSNET (Computer Science Network) として形成した。CSNETは、1986年にCCRCのもう一人のセンター長である村井純が牽引した日本のネットワークJUNET (Japanese University Network)と国際連結を果たす。また、村井はファーバーの教え子の一人であるジョン・ポステルからインターネットの最重要骨格である世界に13個ある内アジアで1つのルートサーバー、Mサーバーの管理を任される。そして、米国中心であった運用に対して日本、アジアからのインターネット空間への参加という観点から地域レジストリの運用方法、トップレベルドメインなど、ネットワーク空間の整備を提案した。さらに、インターネットのマルチリンガル化や、IPプロトコルの改変によるアドレスの拡大など、地球上に中心のない分散コンピューティングの世界の形成に貢献を果たした。

 比較文明から見るインターネット開発とは、物理空間における局所的な大陸ベースの人間の繫がりのみの世界から、論理学と工学を組み合わせた情報技術により、脱中心的な分散ネットワークで世界の人々を繫げる新たな空間を創出する過程である。さらに日本、アジアから世界を繫ごうとする視点は、西洋科学文明からの脱却、そして地球文明への転換の直接的な要因である。

 AI、SNS、VR、ブロックチェーン、Web3、メタバースなどは独立して動作することのない地球規模のアーキテクチャに付加される機能群であり、デジタルな人智の表現型の一部である。今後、これらの情報技術を真に人々を救うための技術に導くためにも、地球文明を生きる人々を支えるデジタルアーキテクチャの立体的な解釈が求められるが、そのためには伊東俊太郎先生が遺された比較文明による俯瞰的な視点を継承することが不可欠である。

                      (慶應義塾大学研究員・サイバー文明研究センターメンバー)