ニュースレター第80号 巻頭言

伊東比較文明学の継承に向けて─ 伊東先生追悼に寄せて

                                           保坂 俊司

はじめに

 冒頭において、比較文明学会の創設者であり、日本の、否、世界の比較文明学のリーダーとして長きに亘り獅子奮迅の活躍をされ、2023 年 9 月 20 日にご逝去された伊東俊太郎先生の御霊前に、謹んで感謝を申し上げます。

 さて、伊東先生の追悼号となる本会報80号において、伊東先生への弔意と先生の学恩に対する最大限の感謝を表すことは当然でありますが、しかし、比較文明学の研究者として重要なことは、伊東先生の遺志を継ぎ、比較文明学の発展に貢献する決意を明記すること、これこそが今求められているのではないかと、私は考えます。というのも、伊東先生は、 2020 年の文化功労者に選ばれた際に、「今回私が文化功労者に選ばれた理由は、科学史の業績と併せて、比較文明学の業績が公に評価されたということです。私はこの点が何より嬉しいのです。」と、先生独特の甲高い声で、筆者にその心境を話されました。周知の様に、日本の比較文明学は、伊東先生が中心となり形成された新領域の学問といっても過言ではありません。その伊東先生の比較文明学の業績が、公に評価されたということは比較文明学、並びに比較文明学会の存立を確乎たるものとする根拠となるわけです。勿論、それは、比較文明学が公からのお墨付きを得たというようなことを意味しているわけではありません。しかし、強力なリーダーである伊東先生亡き後の、比較文明学の存続、発展には、多方面からの様々なサポートが不可欠であり、その条件作りのうえで、伊東先生が文化功労者へ選出されたことが、大きな助けになるのではないか、と先生はお考えになっておられました。この言葉には、後続の我々比較文明学研究者への慈愛に満ちたお心遣いが感じられます。

伊東先生の学問と教育

 僭越ながら申し上げますと伊東先生の学問は、その当初から人類史を鳥瞰するスケールの大きさと、天才的な語学力と論理性に支えられた独創性溢れるものでした。周知の様に伊東先生は、西洋近代文明の絶対的な優位性を創出した科学領域を扱うという意味で、まさに西洋文明の王道の学であり、その意味で西洋中心主義の牙城であった科学領域の研究において、西洋近代科学の相対化を厳密な文献研究により立証されました。先生は、当時の学問的な意味での国際基準であった西洋中心主義思想の中枢に、その相対化のための大きなくさびを打ち込まれたのです。伊東先生は、そもそも啓蒙主義的な用語である文明が持つ西洋中心的な観点を、敢えて比較文明学という言葉で、相対化し、普遍化することに尽力されました。その象徴が「全地球的文明史圏空的枠組」(全集9 巻 31 頁) に顕著に表れています。つまり、全ての文明は、相互交流によって歴史的に形成されてきたという「文明交流史観」と表現できる視点です。筆者は、この視点は日本思想の根底にある仏教の縁起思想と深い関係があり、一神教的な発想を基本とする西洋文明とは根本的に異なる、相互連関的で、循環的、則ち縁起的で多様性を前提とする世界観 (曼荼羅の世界観)がその基礎にあるのではないか、と愚考しています。それ故に先生の業績は世界に認められたのではないでしょうか。

 何れにしても、その多様性を根本に据える伊東比較文明学の視点が、西洋近代文明が直面する深刻な問題への解決のための処方箋を与えることになると言う思想は、伊東先生の学問的集大成とも言える著作『人類史の精神革命』(中央公論新社)に明白です。

 また、周知の様に伊東先生は、最晩年になられても学会発表の会場では、常に最前列にお座りになり、発表者の意見と真摯に向き合われ、あたたかい評価で総括されることを常とされました。その学問に対する真摯な姿勢と、あたたかい眼差しにより、励まされ成長した研究者は、少なくありません。その意味で、伊東先生は、優れた研究者であり、偉大な教育者でもあられました。

 以上の様に伊東先生の学問的なスタンスは、如何なる権威にも屈せず、常識にもとらわれず、自ら調べ、納得の行く結論を得るまで考え抜くというものでした。しかもその基本は、決して冷たい理性主義ではなく、あたたかい理性主義であったと言えるのではないでしょうか。その一端は、先ほど紹介いたしました通りです。この様な伊東先生の学問業績と、その思想を受け継ぐ主体が、我が比較文明学会でなければならない、と私は考えております。

  以上、比較文明学並びに比較文明学会の一層の発展のために精進して行くことを、伊東先生の御霊前にお誓い申し上げ、追悼文とさせて頂きます。

                                                                                                         (比較文明学会会長)