ニュースレター 第84号 巻頭言
パクス・ヤポニカの前途
川勝 平太
日本は平和(Pax)を二度経験しました。最初は平安時代の約350 年、次は江戸時代の約270 年です。それぞれ「パクス・ヘーアンナ」、「パクス・トクガワーナ」と呼ぶことができます。パクス・トクガワーナは芳賀徹氏が『文明としての徳川日本』(筑摩選書)で命名し、パクス・ヘーアンナは小生がつけましたが、平安朝の公家文化を論じた『日本文明の創造―みやびの深層』(角川書店)を著した宗教学の山折哲雄氏との共著『楕円の日本』(藤原書店)所収拙稿で命名しました。山折氏は『日本文明とは何か』(角川叢書)などで戦後日本を「パクス・ヤポニカ」と名付けています。
日本史における平和の出現には際立った特徴があります。日本が津波にも似た外的インパクトを受け、怒涛の大波が砂に吸い込まれるように鎮まった後に出現するという特徴です。
第一波の端緒は白村江海戦、大波は唐文明です。白村江海戦は史上初の大敗戦でした。倭(「日本」国号は当時未成立)海軍の壊滅は先の大戦での日本帝国海軍の全滅にも匹敵します。敗戦で国の形がガラッと変わりました。敗戦国百済から亡命者が大量に流れ込み、戦勝国唐の文物を受容せざるをえなくなり、長安をモデルとする平城京が造営されました。伊東俊太郎氏の唱えた人類史五大革命(①人類革命、②農業革命、③都市革命、④精神革命、⑤科学革命)の到来との関連でいえば、人類は3~4 万年前、農業革命(長江稲作文明)は 3000 年前、精神革命(仏教・儒教)は 6 世紀、都市革命は平城京の奈良時代です。こうして、日本は四大革命の受容を終え、平安時代に入りました。平安初期の最澄・空海の卓越した感化力で宗門・朝廷・公家は一体化し、遣唐使を卒業し、東国・西国に承平・天慶の乱はあったものの、平安京を中心とする畿内は平和で、薬子の乱(810)から保元の乱(1156)まで約350 年間、死刑はなく、哲学の梅原猛氏が「草木国土悉皆成仏」のテーゼにした万物平等を説く天台本覚思想が生まれました。平安時代を「パクス・ヘーアンナ」と名付ける所以です。
第二波の端緒は倭寇とヨーロッパの海外雄飛で、怒涛の大波は東西貿易が生んだ経済的インパクトです。東西の両世界が16 世紀に交易で結ばれ、グローバルな物の交換から世界商品(木綿・絹・陶磁器等)が誕生し、その輸入超過で日本からは膨大な貨幣が流出しました。しかし近世日本は世界商品をことごとく国産化して経済危機を脱し、貿易摩擦・対外戦争のない天下泰平の「パクス・トクガワーナ」を謳歌しました。
第三波の端緒は幕末・維新の開港、大波は近代西洋文明です。明治以後、近代日本は西洋列強に伍して戦争を繰り返し、行き着いた果てが大敗戦でした。敗戦の反省から生まれたのが戦後の日本国憲法です。回天特攻から生還した戦中派の哲学者上山春平氏が『大東亜戦争の意味』(中央公論)で、「憲法が、大西洋憲章→連合国宣言→国連憲章→ポツダム宣言→連合国対日管理政策という一連の国際的協定を前提とし、しかも、日本の議会の決議と連合国の日本管理機構の承認をへて作製された国際的文書である、という事実に着目したい。それは、二度の世界戦争の経験から学んで、連合諸国の共同の意志にもとづいて発足したばかりの国連を前提として、旧来の至高権を主張する主権国家の理念に根本的な訂正を加えた人類最初の国際国家の制度化の試みであった。第九条の戦争放棄の規定は、こうした国家理念の論理的帰結」と論じています。憲法九条を国際的文書であるとした上山氏の見識に共感を覚えます。さかのぼればカントが『永久平和のために』で「常備軍は時を追うて全廃さるべき……いかなる国家も暴力をもって他国の体制および統治に干渉してはならない」に行き着きます。憲法九条にはカント以来理想と認識しながらも近代西洋文明が実現できないでいる平和の理想が謳いこまれています。
パクス・ヘーアンナ、パクス・トクガワーナ、パクス・ヤポニカに関して二つの論点を指摘できます。一つは、日本文明の統合原理は何かというものです。私見では聖徳太子以来の「以和為貴」の理念が日本文明の統合原理だと思います。もう一つは、三度の平和の基礎には文化力があるのではないかというものです。パクス・ヘーアンナには源信『往生要集』や紫式部『源氏物語』に代表される宗門・朝廷・公家の文化力があり、パクス・トクガワーナの文化力は19 世紀末葉にジャポニズムを西洋で大流行させたところに顕著です。
現代日本は近代西洋文明を自家薬籠中のものにしている文明国であり、世界各地でクール・ジャパンのジャパネスク(日本的様式・スタイル)が流行しています。しかし、ジャパネスクが世界平和に貢献する発信力を持ちうるのか否か、権力を握る人たちの危うさに照らすとき、パクス・ヤポニカはクロスロードに立っているように思われます。
(経済史家)
