ニュースレター第64号巻頭言
私の比較文明論 三浦伸夫
勤務校の神戸大学においてかつて改組があり、1992 年に国際文化学部が、そして2007 年にその大学院が誕生しました。大学院には「比較文明論コース」も設置されました(詳細は『比較文明』第26 号、2010 年、pp.49-59 を参照ください)。私は学部で概論科目「比較文明論」を担当しております。2016 年春の定年退職を前に、これまで試行錯誤しながら準備してきた特に近年の講義内容を紹介していきましょう。講義では、学生が未来をも視野に入れた「国際的」な思考が持てるよう、時空を超えた文明論的題材、とりわけ歴史における「文明移転」を中心に、現代的問題等を絡み合わせて比較しながら取り上げています。
題目と具体的内容を簡潔にあげますと、?古代エジプト文明(文字、数字、コプト教の成立、現代のムスリムとコプト教徒の衝突、アラブの春)、?ギリシャ文明(捏造されたピュタゴラス神話、古代ギリシャ文明の伝承、エルギン・マーブル問題)、?西洋中心主義(ギリシャ独立戦争、ブラック・アテナ問題)、?シリア文明(文明移転における宗教の役割、現代中東)、?アラビア文明(アブラハムの一神教、イスラーム、アラビア科学、宮廷文化)、?ペルシャ文明とユダヤ文明(シーア派、オマル・ハイヤーム、ユダヤ人たちの学術上での活躍)、? 12 世紀ルネサンス(文明移転における翻訳の役割)、?中世大学の成立(スコラ哲学、近代大学への展開、今日の大学問題、教養科目・人文学の意味)、?ルネサンス文明(ヘルメス科学、イコノロジー)、?科学革命(ニュートン、現代科学技術問題)、?世俗化(宗教と科学の関係、工学の成立)、?現代文明(原理主義、進化論受容問題)、?移民問題(オスマン帝国解体、EU)、?国際語論、?パラダイム論などです。
このうち?−?では、主としてヨーロッパ、西アジアを中心に「国際的」視野に立って述べてきました。しかしこの「国際」という概念自体も19 世紀西洋で歴史的に作られた概念であることを付け加えておきましょう。今日では文明を論じるには「国際」のみならず「民際」、すなわち国家間の関係だけではなく普通の人々の間の関係をも視野に入れる必要があります。実際、学部名にもなった「国際文化学」という学問分野を論ずるには、お互い異なる言語を母語とする人々の間での言語的平等なコミュニケーションという点が重要です。ここでこの国際コミュニケーションの基礎となるのが?「国際語論」ではないでしょうか。そこでは英語帝国主義をはじめ、言語民族主義、言語権、覇権言語、危機に瀕した言語、計画言語などに関しての具体的事例を示し、さらに広く文明史における言語コミュニケーションの重要性について考えていきます。
以上文明移転の題材を個別に取り上げてきましたが、それらをさらにまとめる作業が必要です。それに有効な枠組みのひとつとして、クーンの提唱した?「パラダイム論」を取り上げます。それは文明間の伝達可能性、文明のコアを成立させるもの、文明を支えるものは何かなど考えるひとつの手立てを与えてくれると思います。
概論というにしても以上はかなり広域な内容ですが、ともすると狭い視野に陥りがちな学生が、時空を超えた広い題材から様々な知的刺激を受けられるように努めてきました。学期末には、講義から着想を得て自ら問題設定をし、オリジナルな研究レポートとしてまとめた学生もしばしば現れ、講義担当側も大いに刺激を受けています。
幾分、科学技術史や宗教、そして西アジアの文明移転に重点を置いた内容ですが、一つの講義事例として参考になれば幸いです。国内の幾つかの大学では比較文明論が講義されていますが、もちろん標準となる共通の教科書は存在しないので、それぞれの講義内容にはかなり相違があると思われます。講義内容の情報を交換し比較検討していくことによって、今後比較文明論という分野がさらにまとまりあるものとなり、それによってますます発展し、注目されていくことを期待します。 (神戸大学)