ニュースレター第64号「研究の現場から」

日韓の歴史問題を考える 小倉紀蔵

日韓関係はなぜうまくいかないのか。理由はいろいろある。だが、もっとも根本的なことをいえば、日本人と韓国人がともに自分たちに自信を持てず、すべてに対して否定的になってしまっていることが、問題なのではないか。
 ここで徹底的に発想を変えてみることが大切ではないだろうか。
 実は日韓は、この数十年のあいだ、世界的に見ても実に先進的で果敢な取り組みを協働でやってきたのである。しかしそのことに対する自覚と自信が、両国にはまるでない。
 たとえば植民地支配への反省。日本は世界に先駆けて、かつての植民地支配に対して韓国に謝罪と反省を繰り返してきた。
 学問の世界においても、日本においては、欧米に先立つことほぼ20 年、つまり1970 年代にはすでに、植民地支配の反省にもとづく左派による学問が花開いていた。
 このことを日韓は誇ってよいのだし、恥ずべきことではまったくないのである。なぜなら日韓は、今後の世界のモデルとなるべきことを果敢に推進してきたからだ。このことを一切認めず否定し去ってしまうならば、日韓両国が苦しみつつ展開してきた「謝罪と反省のプロジェクト」は途中で挫折し崩壊することになるだろう。
 慰安婦問題も同じである。戦時女性への性暴力の問題を世界に先駆けて真摯に認識し、真正面からこの問題に向き合ったのは、1990 年代の日本だった。もちろんそれは韓国人にとって、充分に満足のいく対応ではなかっただろう。しかし、日韓間の条約・協定の範囲内で考えられうるもっとも人道的な案が実行されたのである。このことをあまりにも過小評価するのは間違っている。むしろこの土台の上に、より高い次のステップに進むべきだろう。
 かつて植民地支配した国とされた国とのあいだで、今の日韓のように対等で創造的な関係を構築しえた例が、世界のどこにあるというのか。日韓は、どこか遠くの「先進国」でつくられた「世界のスタンダード」をただ受動するだけの存在ではない。歴史の問題に関して世界のどこもができなかった取り組みを協働で地道に行ってきた進取的な国家なのである。このことを決して忘れてはならないし、このことを忘れて日韓がいがみあいを続ければ、世界全体の幸福にとってよくない影響を与えるのだ、という責任感を持たなくてはならない。
 そのことを踏まえて、今、ヨーロッパと東アジアで同時に起きていることを、包括的に理解してみよう。そのためには、「近代」について再び考えてみるべきだ。
 近代とは、欧米と日本以外の世界にとって、植民地化と被侵略の時代であった。植民地支配され、国民国家を持つことができなかった。第二次世界大戦後に独立しても、うまくいった国家はわずかだった。「国家を持てなかった怨み」と「国家を持ってもうまくいかなかった怨み」が世界中に渦巻いている。と同時に、欧米に対するあこがれとねたみがある。かつて欧米が支配した地域は、すべてそのような強い怨嗟とあこがれを抱えている。
 欧米におけるイスラム勢力の伸張と、中東やアフリカからの大量の難民・移民が、その結果だ。ヨーロッパは「人道」という言葉で難民問題に対処しているが、実は経済的利益をもくろんでいる。中近東・アフリカと対等な関係をつくろうとしないヨーロッパの欺瞞性が、ここにあらわれている。
 これに対して、東アジアは成功した地域だ。つまり、かつて日本が侵略し、支配した中国、台湾、韓国はすべて近代化、産業化に成功した。この成功の要因の一部に日本があるのは明らかだ。日本は戦後、「外部」(かつて支配し侵略した相手)との対等な関係を構築しようと努力してきた。
 これとは異なり、ヨーロッパが「歴史和解」といっているものは、ヨーロッパの内部の話だ。植民地支配した相手(外部)とは、歴史和解は一切進んでいない。和解しないまま、外部を利用し、搾取し、底辺化しているのだ。これへの怨嗟が、イスラムという普遍主義に向かっている。国家を超えた普遍主義がかぎりない魅力を発揮するのだ。
 日本が今、なすべきことは何なのか。それは、「東アジアの成功」を正しく世界が認識するようにさせることだ。日本が戦後やってきた「和解と経済繁栄と平和のシステム」をきちんと概念化し、それを「日本モデル」として定式化することだ。
 そして、和解はいかにして可能なのかを哲学レベルで考える「和解哲学」という新しい学問を、東アジアで構築していかなくてはならない。そのためには、西洋近代とは異なる、新しい人間観が必要だ。私はそれを「多重主体主義」と名づけている。 (京都大学)