追悼文 伊東先生を偲んで
追悼文 伊東先生を偲んで
小林道憲
伊東先生との出会いは、今から35 年程前に、比較文明学会に入れていただいたのが始まりだった。先生が創設された比較文明学会は、専門外の様々なことに興味をもっていた私に合った学会だった。既成の学問分野の枠にとらわれず、その垣根を越えて、文明の諸問題を共通テーマにして考え合うこの学際的な学会は、大層啓発的な学会であった。比較文明学会は、何でも受け入れる伊東先生の幅広い学問の性格を体現するような開放的な学会になったと思う。
その後、私は、国際日本文化研究センターの安田喜憲氏が中心になって行なった文部省重点領域研究「文明と環境」の共同研究員にも加えてもらい、伊東先生とは度々お会いす
る機会があった。さらに、麗澤大学の比較文明研究センターの設立に伴い、その共同研究員、客員教授にも招いていただき、有益な刺激を与えていただいた。その間、いろいろ意見交換しているうちに、伊東先生の考えと私の考えに共通したものがあることを確認し、意を強くしたことも度々である。
伊東先生の功績は、何よりも、これ以上大きいものはないと思われるほどの広い視野から、長い人類文明の時間的な画期と地球大的な拡がりを、独特の比較文明論的観点から明確な認識にもたらされたことである。その認識は、極めて明晰で、驚くべき該博な知識に裏付けられていた。先生は、少年のような好奇心をいつまでももち続けて、最後の最後まで、学問への情熱を傾けておられた。
私も、その後、文明論の方面で自分なりのものを展開したいと思い『文明の交流史観』を書いたが、この著作の基本構想は、すでに、伊東先生が、その総枠を用意しておられたものであった。先生は、比較文明学の理論を組み立てる上で、基本文明とか周辺文明という概念の他に、文明交流圏という概念を設定し、文明の生成発展をより動的に捉えねばならないということを提唱しておられた。私の『文明の交流史観』は、この伊東先生の文明交流圏の考えを具体化し理論づけたものであり、伊東理論の継承発展形態であったと言える。私の文明理論は、文明と文明の関係を重視する〈間の文明論〉なのだが、文明を関係性の中で理解しなければならないことを最初から強調しておられたのは、 伊東先生だったのである。
先生は、長生きされ、最後まで旺盛な探究心を燃やし、科学史や比較文明論において多大な業績を残された。もち続けられたその溢れるばかりの情熱に見倣わねばならないと思うこの頃である。
(哲学者)
会報「比較文明」第80号掲載