追悼文 伊東先生と比較科学史

追悼文 伊東先生と比較科学史

三浦伸夫

 伊東俊太郎先生の突然の訃報を受け、深い悲しみに包まれています。お元気なときのお姿を思い浮かべながら一言述べさせていただきます。

 先生との最初の出会いは大学院入試での面接試験でした。私がデカルトの数学を研究したい旨申し上げると、先生は「それなら中世やアラビア数学をも射程に入れないとだめだ。それらについて研究の覚悟はあるか」と尋ねられました。私はもちろん「あります」とお答えし、そして「よろしい」とのお言葉。以来、幸いなことに私は先生のご指導のもと中世やアラビア数学を学び続けて来ました。先生の研究姿勢は、原典重視そして対象の比較研究です。大学院では、アラビア代数学を学ぶためにアラビア語、エジプト数学テクストを読むためにヒエログリフ、古代ギリシャ数学に取り掛かるためにギリシャ語、中世数学にはラテン語パレオグラフィー…と、次々と新しい言語空間に導かれ、世界がどんどん開けていきました。セミナーの準備はとても大変でしたが、それ以上に先生も前夜に綿密に準備され真っ赤になられた目で臨まれていました。難解な箇所で学生が1 つの解釈を出すと、先生はいつも「それはいいね」と元気づけてくださりつつ完璧な解釈を示してくださいました。学生を常に勇気づけ、アイデアを次々と提示してくださる素晴らしい教育者・指導者でありました。先生にお会いした際にはいつも新しい研究分野、あるときは古いマヤ語、そしてまたあるときは先端の脳科学などのお話をしてくださり、歴史家である一方、未来に向けての先生の深い洞察からこの上ない刺激を受けました。

先生の多岐にわたる研究成果『伊東俊太郎著作集』刊行の際には編集の手伝いを拝命し、多くのことを学ばせていただき感謝の気持ちで一杯です。先生は90 歳を超えて『人類史の精神革命』を刊行され、最期まで現役で研究に励まれ、その研究者としてのお姿に感銘を受けました。

 私が大学院時代に体調を崩し帰省していたときには心配してくださり、後の阪神淡路大震災では真っ先にお気遣いの電話をくださいました。先生のいつも変わらぬ温かなお人柄や思いやりが偲ばれます。現在は大きな喪失感で悲しみに暮れていますが、先生が拓かれた比較科学史という分野を一層展開していくことで先生の学恩への感謝とさせていただきたいと考えています。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げております。

 (神戸大学名誉教授)

会報「比較文明」第80号掲載