追悼文 「平和の使者」伊東俊太郎先生
追悼文 「平和の使者」伊東俊太郎先生
吉澤五郎
昨年の仲秋(9 月20 日)、私どもが敬愛する伊東俊太郎先生が急逝された。まさに、突如として「巨星墜つ」の観があり、その喪失感と追慕の情は深いものがある。ここに、伊東先生の遺徳を偲び、その高邁な思想と不朽の偉業の一端を閲することとしたい。
本比較文明学会は、他ならぬ伊東先生を「生みの親」として1983 年に誕生した。昨年は、早くも学会創立40 周年の佳節を迎えた。すでに、その浩瀚な記念論集『人類と文明のゆくえ─危機に挑戦する比較文明学』(2023・10) が出版されている。惜しくも、その成就を楽しみに「祝辞」を寄せられた伊東先生のお姿は、いまや亡い。何かと、新知・比較文明学会の誕生劇に携わった一人として、その愛惜の感も深い。
ところで、先頃 「学会会報」 では、 一連の特別企画として「40 周年記念号」 を刊行している。そのリレー連載の初回を飾ったのは、 伊東先生の 「比較文明学会創立40 周年を迎えて」(第77 号、2022・7) であった。おもな論旨は、 今日の人類史的な課題となる「地球社会の平和的共存」(システム) を嚮導する比較文明学パラダイムの創出であった。同時に、問題解決の具体的な指針として、第1 の 「アヒンサー」(「不殺生」「殺すなかれ」) の原則以下の「 3つの原則」 が提示される。
ちなみに、その「アヒンサー」(Ahiṃsā・サンスクリット語)とは、通常の仏教(五戒)やキリスト教(十戒)にも共通する一大啓示をなすもので、その訓戒は絶対に「人を殺さない」との含意である。いわゆる、国家による組織的な暴力としての「戦争の否定」でもある。今日、なお地球上の「呪いの戦火」は、連綿として消えることがない。現に、「ガザ紛争」や「ウクライナ戦争」は、いまや凄惨な「地獄の淵」にある。
伊東先生の創見は、まず核使用の恫喝をも辞さない「人道的な危機」に際して、不毛な「戦争」の原理的な否定にたつ「共通価値」の定立にある。いわゆる、古来東西の古聖が等しく唱導した「アヒンサー」思想の再構築である。今日、その「真理」を究める道程は、史上のガンディー(非暴力主義)やシュバイツァー(生命への畏敬)、さらにはキング牧師やマザー・テレサ等の功績にもうかがえよう。
とくに伊東先生の提題は、従来の「戦争か平和か」の「二分論」をこえる新たな「地球倫理」の開示として、今後の「平和研究」に資することになろう。ここでは、伊東先生が、いみじくも比較文明学の先達A・トインビーとともに、現「日本国憲法」(第9 条、戦争放棄)を「希望の光」として高く評価していることにも留意したい。
なお、次号の「学会会報」(第78 号、2023・2)では、私の出番となり「「伊東文明学」に想う─ 新著『人類史の精神革命』のことなど」と題するものであった。微力ながら、伊東先生が終生を託された「畢生の名著」について、何ほどか敷衍できたかとも愚考する。その折、早速伊東先生からの電話を受け、「私の真意の厳密な把握と望ましい学的展望に、深く感謝します」との過分な談話に与った。図らずも、
いまや不帰の人となられた伊東先生の「最後のことば」ともなった。
ここに、心からご冥福をお祈り申しあげます。
(比較文明学会名誉理事、第2 期会長)
会報「比較文明」第80号掲載