ニュースレター第78号巻頭言

「伊東文明学」に想う─ 新著『人類史の精神革命』 のことなど

吉澤 五郎

 今年(2023 年)は、いち早く超領域的な「総合の知」を求めて発足した比較文明学会の「創設40 周年」にあたる。その歴史的な佳節を迎えて、本学会初代会長の伊東俊太郎先生(現・名誉会長、国際比較文明学会名誉会長)は、積年の労作『人類史の精神革命─ソクラテス、孔子、ブッダ、イエスの生涯と思想』(中公選書、2022 年)を上梓された。私自身、これまで折にふれご構想を伺った事情もあり、その感慨も深いものがある。
 まず、本書の刊行に際し、伊東先生は自ら「比較文明学」の立場を明示されている。さらに、その未踏の「根本的な問題」に挑んで、それこそ全精魂をこめて執筆された「畢生の大著」でもある。通常、このように長大な著作は、到底一人の力ではおよばぬ「至難の業」であろう。ふと、かのF・ニーチェの「血をもって書け」との強烈な精神の叫びが心をよぎる。まさに、本書は「日本発の独創的な研究」の精華であり、かつ人類文明史上の深遠な苦悩と命運を読みとく「世紀の名著」でもある。あらためて、伊東先生の高邁な精神と卓抜な偉業を仰ぎ見つつ、新たに人生と学問の「真の道しるべ」を授かる想いである。
 周知のように、名高い「伊東文明学」の核心は、おもに二つの主導概念に負う。第一は、人類文明史上の「時間軸」を基点とする「人類史五革命説」である。第二は、その「空間軸」を舞台とする「文明交流圏説」である。伊東先生の卓見は、新たに第一の「文明構造論」という静的枠組みと、第二の「文明変動論」という動的枠組みを全体論として統合し、新しい「普遍的世界史像」を構築したことである。いわゆる、21世紀の枢要課題となる「地球文明の自己変容」を解く画期的な業績である。なお、その主題のもとに集う多彩な作品群は、すでに誉れ高い『伊東俊太郎著作集』(全12 巻、麗澤大学出版会、2008 年) として刊行されている。  
 ところで、この度の「新著」は、いわば「伊東文明学」の集大成ともなる知的結晶である、ともいえよう。いわゆる、自説の両翼ともなる「文明の画期」 と「文明の変容」の両論を高次に総合しながら、現代文明を脅かす「環境革命」の本質的な意味と新しい課題を示すことになる。そのおもな論点は、現状の大きな病根となる「科学革命」(近代科学・自然) と「精神革命」(普遍宗教・心) の深い断絶の谷間に、新しく調和と統合を育む「未来への橋」を架けることである。いわば、「 両者」 の深層に響きあう新しい「 文明の原理」と全地球的な 「未来の倫理」 を創出することである。

 本書では、まず、世界精神史の基軸とされる「枢軸時代」(K・ヤスパース)に準じて、東西の古聖(ソクラテス、孔子、ブッダ、イエス)の「聖なる肖像」と、その核地域(ギリシア、中国、インド、イスラエル)を彩る「特異な景観」が描出される。しかし、伊東先生の観察は、その伝統的な自画像を厳密に再検証しながら、むしろ相互の根底にひそむ普遍的な表象と意味の解読に重点をおいている。一例として、東西の名高い「四聖」の姿も、まず真実にして現実なる「一人の人間」として登場し、かつその根底に等しく「自他共生のメッセージ」を読みとることになる。
 他方、伊東先生の創案になる「宇宙連関論」は、現下の「科学と普遍宗教」(分裂問題)を統合に導く卓抜な「比較文明理論」と見ることもできよう。ちなみに、比較文明学の先達A・トインビーの歴史的知見をそえれば「文明の同一性は、差異性よりも深い」ということになろう。
 さらに、その斬新な主題は、今日の至上課題となる「地球環境問題」に連結される。すなわち、いまや不可避な「環境革命」の文明史的な位相を明かし、新たな「精神革命」にのぞむ人間存在の根基と歴史的な命運が論証される。いわば「伊東文明学」は、本来比較文明学に課せられた「文明と価値」の命題に踏みこみ、その新しい関係概念と共生価値を提示したことになる。あえて、伊東先生が人類全史の根源的な「意味と価値」の問題を開示し、新しい「地球文明」の方位と「精神原理」を創出した意味は大きい。
 本書は、まさに、今日の比較文明学に託された「叡知の領域」(メタ・ヒストリー)の探求であり、また悠久なる「母なる大地」の未来を照らす「希望のメッセージ」でもある。その、前人未到ともいうべき壮大な構想と慧眼および「未来への決断」を秘めた主体的な問題関心等は、じつに瞠目すべきものがある。ここに、伊東先生の知的肖像として、21世紀の本来「在るべき研究」を成就した「偉大な思想家」としての印象も深い。
 なお、一片の「覚え書き」ながら、このほど伊東先生は、その「人類史に関する独創的な見解」および「一般市民への広範な啓蒙活動」等の業績により、晴れの「文化功労者」に選出(2020 年)されている。ここに、本学会の新たな航海に向けて、先学・伊東俊太郎先生の豊穣な知的遺産が「導きの星」として輝くことを期待したい。
(比較文明学会名誉理事)