比較文明学会第52回関西支部例会開催について

比較文明学会関西支部関係者各位

コロナ禍はだいぶおさまってきましたが、楽観はできない状況です。さて、関西支部の第52回研究例会は下記の通り京都大学で開催いたします。はからずも哲学的な報告が2本となりました。大学は学期末の多忙な時期かと存じますが、オンラインも予定していますので、関西支部に限らず比較文明学会員はどなたでもふるってご参加ください。

                        記
日時:2022年2月20日(日)13:30~17:00
会場:京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟(正門南に至近の建物)1102教室 
2021-main-e5a73f912d13f45d3d55fee01e82ef3d.pdf (kyoto-u.ac.jp) 84の建物
方式:対面とオンラインのハイブリッド方式を予定。オンラインの申込みは2月18日(金)正午までhikakubunmei.kansai*gmail.comへ。(*は@に読み替えてください。)

プログラム:

報告1 13:30~15:00 平田一郎(関西外国語大学短期大学部)
「汎心論(Pansychism)の可能性」
 現代における脳神経科学や認知科学の発展は、従来の人間の心を脳の機能と結びつける科学主義的な考え方に実証的な基盤を与えつつある。それに基づき心についての哲学的考察においては、存在するのは自然科学的な物的対象のみであり、ただそれらが複雑に組織化されて「心的」と称する性質が出てくるだけである、という物理主義が一般的になっている。このように考える時「心的」とは例外的なものでしかないことになる。しかし「心」とはそれほど特異で特別な事象であろうか。われわれが経験する色、光、匂いは複雑な物質である脳を持った人間にしか感じられないとする時、それはむしろ人間を自然の中で特別視しているとも言える。むしろわれわれにとって必要なのは、そういった人間中心主義的な自然観を脱し、むしろ人間の心が何らかのより一般的な心的なものの一例に過ぎないという考え方ではないのか。そういった発想の転換を特にホワイトヘッドのコスモロジーを手掛かりに、汎心論という方向で考えてみたい。そしてそれは文明についての、一般的に「エコ」と称されるようなものとも違う、新たな見通しにもつながるかもしれない。

報告2  15:30~17:00 小倉紀蔵(京都大学)
「鎌倉哲学を構想する」
 鎌倉哲学とはなにか。それは、鎌倉時代の哲学のことである。これまではこの時代の宗教・思想を哲学とは呼称してこなかった。だが、本報告では哲学として位置づける。そのための第一歩は、天台哲学の再評価である。いわゆる鎌倉新仏教のなかで、天台哲学との関係が明確に議論されるのは日蓮である(ほかに栄西と『法華経』との関係も)。しかし、鎌倉新仏教の担い手はほとんど、比叡山ないし天台教学と関係があった。この際に重要なのは、よくとりあげられる本覚思想だけでなく、むしろ一念三千哲学である。一念三千は日蓮が考究したが、それだけではなく、鎌倉仏教全般と関係している。中国哲学史の華厳→禅→朱子学→陽明学という流れと対比して、日本哲学史を天台→浄土→神道→国学という流れでとらえてみる。そのなかでの鎌倉時代の役割が重要である。顕密体制論批判も含めて、この時代の哲学を構想する。

以上です。

比較文明学会関西支部長
中 牧 弘 允
hikakubunmei.kansai*gmail.com (*は@に読み替えてください。)