ニュースレター第54号「研究の現場から」

「知」の社会性:構造と関係性を考える  榎本のぞみ

産業革命以降、産業発展と経済合理性を積極的に追求してきた結果、環境破壊や経済格差をはじめとする地球規模での多くの問題が残された。近年、コミュニティ再生や事業環境整備において、これらの問題解決や課題克服を目的とした「社会性」を配慮した仕組み作りが国際機関から各国政府や自治体に至るまで各地で展開されているが、政治学者ロバート・パットナムが、アメリカ経済と社会の衰退を指摘し、従来さまざまに定義されてきたソーシャル・キャピタルの概念を「協調的行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる、信頼、規範、ネットワークのような社会的組織の特徴」とし、1990年代中頃から世界中の研究者や関係者から強い関心を集めている点は、この展開を分析する上で見逃せない。

 人口減少、産業構造の変化、産業の空洞化、旧東ドイツ地域の衰退、移民問題、格差社会といった問題をかかえていたドイツでは、環境・経済・社会の総合的な側面から地域再生を進めるサスティナブル・コミュニティの実現を目指した「社会都市」プログラムが1999年より連邦全土で開始され、2008年までに500を超える多くの地域で強力に進められ、短期間でさまざまな成果を上げている(室田昌子著『コミュニティ・マネージメント』)。また、アフリカの開発分野では、2001年アフリカ連合首脳会議で採択されたNEPAD(The New Partnership for Africa’s Development)で、アフリカにおける貧困撲滅、持続可能な成長と開発、世界経済への統合のために従来型の国際社会の援助から脱却し、アフリカ自身の責任における自助努力(オーナーシップ)を補完する形での支援(パートナーシップ)を求め、特にアフリカ自身のイニシアチブやガバナンスの重視を強調している点は、広域におけるソーシャル・キャピタルの概念に一致する。またすでに浸透している企業の社会的責任や社会的課題の解決をミッションとする社会的企業の考え方も、各企業や団体が経済外的諸要因、すなわち「社会性」を配慮する組織運営様式への変化として捉えることができよう。

 筆者の観察(1999年より至現在、ケニアの農村における自立を促すサスティナブルなコミュニティ形成とルワンダでの環境衛生分野における社会企業設立の各事例について準備段階からその後の経過)では、社会を活性化する仕組みとネットワーク構築、そのための連携は、かつてない勢いで縦横無尽に進められ、人々の意識も浸透してきている。しかし一方では、数多くのNGOやボランティア団体の活動領域をめぐる問題、提供された医薬品の盗難、ステークホルダー間での利権をめぐる争いや目指す方向の食い違いなど、すでに数多くの挫折を経験するという現実がある。コミュニティのサスティナビリティを左右するリスク要因や不確定要素が常に伴うことは、地域固有の問題ばかりでもなく、仕組み作りの次なる課題が共通にサスティナビリティそのものであることを十分示唆している。とはいえ10年前に立ち上げられたこれらのサスティナブル・コミュニティは現在、形を変えたものの、ケニアとルワンダは、ともにこの10年経済成長も伴って各コミュニティを含む社会全体の生活環境が確実に改善されつつある。

 このように実社会では、グローバリズム—ローカリズム、そして垂直—水平のそれぞれの関係性からなるパートナーシップの実現、官・民他さまざまなセクターを含む包括性とシナジー効果を重視した「統合型アプローチ」が推進される中、それらの変化や状況を体系的に分析し、シナジーから生まれた「知」の価値を社会に還元するためにも、この大きな潮流に組み込まれた「社会性」を配慮した「知」の関係性構築が求められよう。日本における画期的な動きの一例として、2003年文理にまたがる43の学会(総数約6万人)から構成される「横断型基幹科学技術研究団体連合」が発足し、限りなく縦方向に細分化が進む科学技術分野における「知」の創造のために、あえて横軸の重要性が訴えられている点があげられる。

 社会学と数学のバックグラウンドを有し、平和研究や途上国の開発研究における第一人者であるヨハン・ガルトゥングは「知的様式を知的産物の構造と知的共同体の社会構造に分けることにより、社会全体の構造─知的共同体の構造─知的産物という対応関係」に関心を向け、「社会性」を配慮した研究活動に参考になる分析枠組みを提供してくれている(矢沢修次郎・大重光太郎訳『グローバル化と知的様式』)。また同書序文の「学問体系の構築がまさしくピラミッド的なものであるならば、(中略)知の生産者のピラミッドは、権力を保持する者のピラミッドと関係しているであろう。知の構造を平坦にしよう。

そうすれば、他の二つのピラミッドに影響を与えうるであろう」という指摘は、収奪文明を還流文明へ向かわせるサスティナブルな推進力となり得る視点と考える。

(東京理科大学)

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