ニュースレター第51号巻頭言

アニミスティック・センシティビティと「生態智」を求めて  鎌田東二

 昨年、2008年は「源氏物語千年紀」を祝い、顕彰するイベントやシンポジウムが多数開催された。確かに、『源氏物語』は類稀な、世界に誇りうる日本文学であると私も思う。

 その『源氏物語』の精髄を、「もののあはれを知る」と捉えたのが本居宣長だった。宣長は、『源氏物語玉の小櫛』の中で、「すべてあはれといふは、もと、見るもの聞くもの触るる事に心の感じて出る嘆息の声」であるとし、『宇比山踏』では、「すべて人は、雅の趣をしらでは有るべからず。これしらざるは、物のあはれをしらず、心なき人なり」と述べている。そして「もののあはれを知る」ためには、歌をよみ(読み・詠み)、物語書などをよく読んで、いにしえの雅と道を知ることが肝要だと主張する。

 『源氏物語』の「もののあはれ」という心のはたらきと感応力を、ドナルド・キーンは“a sensitivity to things”(ものへの敏感さ)と英訳した。「あはれ」を“sensitivity”(敏感さ)と訳したところはなかなかよく意をつかんでいる。

 だが、「もの」を“things” と訳すことが適切かどうかは議論があるだろう。確かに、“thing” には「物」だけではなく「事」や「事態」という意味もあり、内包する意味は広がりを持っている。

 しかしながら、日本語の「もの」はそれよりもさらに多義的で、「大物主神、物部、物狂い、もののけ、憑き物」などの語に見られるように、「霊性」すなわち“spirituality”をも意味しており、いわば「物」としての「もの」の対極と考えられる「霊=モノ」をも含んでいる。

 とするならば、「もののあはれを知る」とは、霊性から物性までを貫くモノ性に遭遇し、それと鋭敏に相まみえ、感応することにほかならない。こうした「もの」が持つ物霊相互環入的な感受能力を、アニミスティック・センシティビティと呼べるであろう。

 ところで、このようなセンシティビティを、「生態智」という言葉で捉えなおしてみたい。「生態智」とは、自然に対する深く慎ましい畏怖・畏敬の念に基づく、暮らしの中での鋭敏な観察と経験によって練り上げられた、自然と人工との持続可能な創造的バランス維持システムの知恵であると規定しておく。

 「生態智」は、ヨーロッパ諸言語で言えば、「エコソフィアecosophia」ないし「エコロジカル・ウィズダムecological wisdom」であるが、それをわが国でもっとも早く明確なメッセージ性を持って使用した人物が南方熊楠である。南方は、明治政府が推進した一町村一社に神社を整理する神社合祀令を痛烈に批判したが、そこで彼は「エコロギー」という言葉を使って反対運動を展開した。

 南方は、神社合祀が地域文化と生態系を空洞化し、なし崩し的に破壊することを予見した。神社合祀は、敬神思想を弱め、民の和融を妨げ、地方を衰微させ、国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害し、愛国心を損ない、土地の治安と利益に大害をもたらし、史蹟と古伝を滅却し、天然風景と天然記念物を亡滅する、百害あって一利なしの亡国的政策であると。

 「生態智」を現代思想の根本問題と洞察したのが、フェリックス・ガタリの『三つのエコロジー』(平凡社ライブラリー、2008年)である。ガタリはこの書で、環境のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジーの三つを美的に総合する知を「エコゾフィー(ecosophy)」と呼び、総合的なエコロジカル倫理学を提唱している。

 環境のエコロジーとは生物間の相互関係性や生物と環境との相互関係性をバランスさせる知と実践、社会のエコロジーとはいびつな病理的関係や偏差をともなう権力関係のゆがみや抑圧を取り除く解放の社会知と実践、精神のエコロジーとはイメージ操作を受ける現代人の主体的関係性の再創造であり想像力の動的編成である。要するに、「エコソフィー」という総合知から見れば、環境も社会も精神もすべてつながりと循環の中でインターフェースし合っているといえるのだ。

 私はこの三年、京都の東山連峰や各地の修験道の聖地霊場を歩きに歩いた。夜の比叡山や森の中を懐中電灯も持たず歩くこともしばしばあった。それを通して、自分自身の身一つと身の丈から、自己と他者や世界との関係性を等身大で見つめ、身一つでは何もできないという「即身」の弱体の自覚を通して、身直し・生き直しに向かう実践智を自ら確かめつつ、同時に、巡礼や修験道の修行の中で培われた「生態智」の伝承を再発掘・再評価した問題意識を『聖地感覚』(角川学芸出版、2008年)として世に問うた。それが私にとっての「収奪文明から還流文明へ」の等身大の身の丈実践事例である。

(京都大学こころの未来研究センター)

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