ニュースレター第48号巻頭言

「バーチャル文明誌アーカイブ」の提案   杉田 繁治

  2007年11月に行なわれた比較文明学会第25回大会は「文明と世界遺産」がテーマであった。すでに世界遺産

として登録されている件数は2007年8月現在で、文化遺産660、自然遺産166、複合遺産25に達している。いずれ

もすばらしいものばかりである。自然遺産は別として、人類が作り出した傑作である。文明とは人間が作り出し

てきた人工物の総体である。世界遺産に指定されているピラミッドやマチュピチュのようなハイレベルなものか

ら日常使っている箸や茶碗に至るまですべて人工物である。ややもするとハイレベルのものが目立ち、印象に残

る。いずれも文明の要素であるが普段の生活に使われているものはあまりにも当たり前であたかも空気のごとく

その存在に気がつかない。

 「文明」に対して様々な意味付けがなされているが、その基本として「人工」ということが含まれている。都市

の発達も高度に人工物が集積してきた状態をさしている。ある程度人口があつまり建造物や交通・通信手段が発達

してくると従来の生活空間とは一段と違った性質を持つ新たな場が出現する。そこをとらえて「文明」と名づけ

られた。しかし高度に発達した生活の場とは何か。大変曖昧な状態である。ある値以上の人工物の集積した状態

を文明と名づけるのではなく、もっと明確な尺度を導入することが考えられる。それが文明度という尺度である。

文明度は自然の状態にどれだけ人間の関与がなされたかを示す量である。文明度はゼロから出発する。文明度に

寄与する要素は人工度である。文明の対象はモノだけではない。制度などもこの範疇に入る。

 では文化とは何か。文明と文化はよく混同される。文明の程度の低い状態を文化と呼ぶ立場で、原始的な生活

水準の状態と位置づけている分野もある。しかし文明をゼロから出発するという立場からすれば、原始的な状態

でも文明の程度が低いだけであって文明には違いない。文化と文明は密接な関係を持っているが異なった性質を

持つものである。それは言語とのアナロジーで言えば、文章とその背後にある文法に対応する。文明を文章とす

れば文化は文法に対応する。文明の構造を支えているのが文化である。人間集団が行なう行為の背後に存在して

いるものの考え方や価値観などがそれに当る。直接外部に出ているわけではないが暗黙の了解として人々に共通

している考え方である。この文化によって文明活動が進められているのである。文化は直接目で見ることはでき

ない。しかし文明の姿を見て文化を推測することは出来る。あたかも文章の集積から文法を推測するようなもの

である。

 したがって文化を文明から推測するためには人工物の集積が必要である。従来それは博物館として存在してい

た。これは「文明誌」としての記録である。文明誌と文明史は異なる。文明誌には文明史も含まれる。文明誌は

生態的な見方である。時間的な変化と共時的な空間に繰り広げられる事柄の全体を比較し眺望できる仕掛けであ

る。この文明誌アーカイブの構築は比較文明学にとって最も重要な問題でありまた基本でもある。他の分野にも

「生命誌」や「民族誌」という表現がある。単なる『暦史』ではない。アーカイブは以前の文書館と言う意味か

ら拡大解釈されて現在ではマルチメディア博物・情報館の意味合いがある。単なるものの展示だけではなく知り

たい情報が提供される機関なのである。

 文明誌アーカイブは人類の様々な活動から生まれた人工物の展示である。すでに世界のあちこちに博物館が存

在している。それぞれはそれなりにすばらしい内容を持っている。しかし単体として独立しているため相互比較

には適していない。又一部の機関ではインターネットによって公開しているものもある。しかしばらばらなコン

セプトである。そこで「バーチャル文明誌アーカイブ」として世界中で作成されるデータがインターネットによ

って結ばれてあたかも巨大な纏まりであるかのごとくに見える機関の設置を提案したい。諸民族の生活から生ま

れた人工物が相互に検索・比較できる仕掛けである。そのデータを登録するのは特定の組織だけではなく一般の

人々の参加を呼びかける。その趣旨を明確にして世界遺産に匹敵するものからガラクタにいたるまで文明のあら

ゆる要素を知り比較できる仕掛けである。これ自体が未来に向けての世界遺産である。

                                         (龍谷大学理工学部)

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