第79回研究例会のレジュメ
第79回研究例会のレジュメ
「言語をめぐる越境の問題」を総合テーマとして、第79回研究例会を下記のとおり行います。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
日時:9月16日(土)、13時から17時まで
場所:立教大学池袋キャンパス11号館2階A204教室
レジュメ
楊沛(立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻後期課程)
「言説には消点がある--ハンセン病問題を中心に--」
1.はじめに
今現在,世の中には,多くの創り出された言説なるものが存在している。そのような言説は,学校教育やメディアなどを通して,私たちの脳に刷り込まれ,やがて私たちを支配するようになる。また,そうした言説には,言説の中心をなす核のようなものが存在している。
ここでは,そうした言説の核なる存在を明確にとらえるために,言説を一枚の絵画になぞらえて考えてみたい。そこには「遠近法」でいうところの消失点,つまり「消点」が存在する。それが言説の核になるようなものである。そこで,本論では,さまざまな言説において,いかなるものが「消点」とされているのか,またそれがどのように隠され,それによって「言説」が社会でどう働いたのかについて,「ハンセン病問題」を事例として、言説を成り立たせている「制度」から言説をとらえる。どういうものが言説として成り立ち,どういうものが消し去られるのか検証する。
2.研究の目的および研究方法
本研究の目的は,「ハンセン病問題」を事例として,さまざまな「言説」にはどういう制度が機能していたのか,また,どういう言説が消されたのか,さらに,さまざまな言説は「国家」という「消点」に収斂されたということを明らかにすることにある。
研究方法としては,フーコーの言説論を参考に言説分析を行なうとともに論証していく。
3.本論 -- 「ハンセン病問題」を事例として
(1)「汚い」という言説
(2)「危険」という言説
(3)「仁慈」という言説
4.おわりに
佐々木夏子(立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻後期課程)
「『文化特例』から『文化的多様性』へ〜フランス(語圏)から見るグローバリゼーションと産業としての文化〜」
米加二国間FTA協議およびGATTウルグアイ・ラウンドで議論になった「文化特例」という主張の背景および争点を確認する。ケベック州の音楽産業が最初に展開した「文化は単なる商品とは異なるのだから自由貿易の例外としなければならない」という主張が明らかにしたのは、単にアメリカの巨大な文化産業の圧倒的な流通が他国のアイデンティティを脅かす、という問題にとどまらない。逆説的ながら、「文化特例」が明らかにしたより重要な問題とは、今日文化がほとんどの場合商品以外の何物でもないということなのである。フランスという国家がこの主張の前衛となったのは、フレデリック・ジェイムソンによると「偶然ではない」。そのことが意味しているのは、単にアメリカという国家とその文化が圧倒的なヘゲモニーを確立したということだけではなく、ヨーロッパがヘゲモニーを握っていた一時代前の文化と今日の文化の有り様がより深いレベルで変容したということではないだろうか。以上の考察を踏まえて、フランスの文化政策における英語圏の文化への対抗が何を意味するのかを批判的に検討する。
井上貴子(大東文化大学国際関係学部教授)
「言語ナショナリズムと芸術至上主義-インド、タミルナードゥ州を事例として-」
独立後、インドでは言語を核として州別再編が行われた。英領期以来、言語は特定集団のアイデンティティの核として政治化されてきたのである。言語別州再編によって、中央は地方の多様性に対し、一種の政治的ステータスを与えたわけだが、これは選択された多様性が承認されたにすぎない。中央主導の取捨選択は新たな抑圧を生みだす。英領期マドラス州(管区)と呼ばれた地域には、タミル語とテルグ語話者が交錯して居住していたが、テルグ語を核としたアーンドラ・プラデーシュ州の成立後、問題はより複雑化している。音楽芸能は、最も政治から遠い分野として扱われてきたが、芸術至上主義の主張は政治対立を乗り越える方便としてさえ十全に機能しているとは言いがたい。さらに、今日、英語がグローバルな言語として流通するなかで、言語を核とした内向きのナショナリズムは強化され、それが音楽芸能の趨勢にも影響を及ぼしている。音楽芸能は、こうした問題から免れているかのように語られてきたからこそ、逆に利用されやすい危うさをもつことを明らかにしてみたい。
*会員外の方のご参加も歓迎いたします(資料代:500円)
*会員外の方のご参加も歓迎いたします(資料代:500円)
会場への最寄りの交通機関から、池袋キャンパスへの地図とキャンパス内の配置図は立教大学のホームページをご参照ください。