ニュースレター 第82号 「研究の現場から」

世界共和国*を議論する時機が来ている

松田 康男

自己紹介と関連付けながら題の意味を説明することが有効と思う。

私はドイツの国際的企業であるボッシュ社(自動車部品等製造・販売・サービス、近年の年間世界連結売上 10 兆円、従業員40万人)を定年退職してから比較思想学会(評議員)および地球システム・倫理学会で文明論を中心に発表をしてきた(定常経済論等)。そして、2024 年 6 月に比較文明学会に入会した。

これらの学会に大きな役割を果たして来られた伊東俊太郎先生の文明論に基本的に依拠して近時は近未来の問題への具体的解決に資することに取り組んでいる (例えば、伊東先生の「これからは自然支配的科学技術から自然親和的科学技術に転換すべき」との主張に依拠しつつ展開した「人工知能論と文明論の統合」・「サイボーグ人間・クローン人間等の許容・不許容基準を文明論に依拠しつつ具体化する案」)。

ところで、最晩年の伊東先生が学会での講演で「国家はもはやマイナス面のほうが大きくなっているのではないか」と語られていたことを思い出す。

ウクライナ・ロシア問題等、「自国を恃みにする」複数の紛争の現状に鑑みて改めて「国家」を振り返ってみると17 世紀以来の「国民国家」の発想の延長・拡大上に、(民主制・独裁制を問わず)世界の国々はいまだにある、と思う(『国民国家延長・拡大路線』)。

民族や国家としてのアイデンティティという単位で国家を形成しているから「少しでも対外的に自国の立場を強くしてくれる(経済・軍事等)為政者を待望する人」が世界中に非常に多い。

このことはふたつのリスクを生む。ひとつは戦争のリスク。ひとつは「地球規模で人類が一致団結して対応すべきである多くの問題が差し迫っているのに対応が遠のくリスク」(世界・地球よりも自国強化を優先するので)。

しかし、後者は前者よりも次元を異にして影響が大きい(温暖化ひとつでもわかる)だけでなく、手遅れになると元に戻れなくなる不可逆的な問題が多い。だからこそ現代の多くの文明論が「人類がこのまま漫然と同じ軌道を走ってゆけばxxxになりうるから、そのような絶望的未来から逆算・遡及して、〈いまから〉yyyの方向に文明を転換すべき」という説明をしているのである。

しかしそれにもかかわらず自国強化ばかりに走る(殊に戦争がどこかで起きたりするとますます)。

いずれにせよ、このふたつのリスクの根本的原因はともに『国民国家延長・拡大路線』である。

解決策としてまず浮かぶのは国際政治論と文明論の統合(『統合』)である。常に両者を統合しながら同時並行的に行うのである。

ただ、これをすると例えば戦争への対応に不安が兆したりすることもあるから、 世論はなかなか 『統合』 には賛成しないで国際政治論ばかりに耳を傾け続けるであろう。

一例として「経済安全保障」という考えを取り上げよう。戦争があちこちで出始めている状況では国際政治論からは当然の考えである。しかし、この考えからは「安全保障の見地からする意図的な貿易の制限」が起こりえ、世界経済全体最適に必要なリカード以来の「比較優位の原則」に基づく適正な貿易が起こらなかったり減少したりする。平たくいえば「同じ人口を養うために地球資源枯渇のリスクが早まる」(人類は多くの種類の資源を必要とするのでエネルギーを再エネに転換するだけでは済まない)。

従って、文明論の見地からは「経済安全保障」は必ずしも歓迎されない。

このジレンマを一挙に解決する方法がある! 世界共和国である。

(1) 平和が確保される。

(2) 『統合』が容易になる(世界共和国になっても地域紛争は起こりうるから『統合』は継続的に必要)。

(3) そして何よりも「地球規模で人類が一致団結して対応すべきである多くの問題への有効な対応の仕組み」ができる。

以上のように、論者は「理論であると同時に世界の世論に影響を与える内容のもの」を説かなくてはならないと思う (上の3つは相互に関連しており、(1)だけが世界共和国の論拠に挙げられることが多いが、それでは不十分である)。

しかし、検討はこれだけではもちろん済まない。他にどういう課題があるか、全て洗い出して同時に検討してゆかなければならない。例えば「国家」のメリットで世界共和国になると消滅・減少してしまう恐れのあるものの洗い出しは必須である。

その中でも私の最大の懸念の一つは世界共和国になったときに文化的多様性が減少する恐れである。「国家」があると自国文化の意識が不断に再生産されて、文化相互尊重の精神に基づく文化間対話があれば国際紛争を予防するし国際的相互協力の雰囲気もできる。世界共和国になってもなんとか「相互尊重の精神に立った文化国家」だけは残せないか、と思ってしまうほどである。

  従って、いま直ちに私が世界共和国論者になったわけではない。しかし、真剣に議論しなければならない時機に来ていることは確かだと思う。

*国家消滅が明瞭になるので用語として世界連邦より世界共和国を使う。

(本学会会員)