ニュースレター 第81号 「研究の現場から」

人の営みの理に平和の可能性を求めてロシア文明の底流に触れ続ける

近藤 喜重郎

文明とは人の営みの総体でありかつその産物のこともいう ─この定式を筆者は、文明学の基礎として東海大学の文学部文明学科で齋藤博先生に学び、その分析手法をジョセフ・N・ロスティンスキー先生に教わった。先生は特に、ご自身の先生であったロマン・ヤコブソンと、当時先生が重視なさっていたユリィ・ロトマンの著書をご紹介くださり、齋藤先生には、彼らから学び、筆者独自の記号論を確立するように、とご指導いただいた。ロスティンスキー先生には、“亡命ロシア人の教会”という研究テーマもご教示いただいた。両先生は筆者に、事実を探求列挙するのは無論のこと、人の営みの理を考究することをお求めであった。

こうして始まった筆者の研究は、本学会のウェブサイトでもご紹介いただいたことのある拙著『在外ロシア正教会の成立 ─移民のための教会から亡命教会へ』(成文社)を、その初穂とした。特に、その研究の途上で、ロトマンの文化記号論を文明の生態史観やモラルとエティカと比較対照した結果、「文化」と「文明」という、文明学の中でしばしば論じられる概念を相補的な対概念として整理できたのは、望外の実りであった。

移民は、祖国の様々な社会層からそれぞれの動機に基づいて出国した人々である。当然、その出国のタイミングも状況も様々である。加えて、異郷での暮らしは、異文化の人々との出会いや接触、その風習や法律などに制約された生活体験とともにある。このため、彼らが異郷で保持する祖国の文化を論ずる際は、数学において複雑な方程式を解く時と同様に、人の営みにおける定数と関数を丁寧に整理する必要がある。

このことは、移民の暮らしに限定した話ではない。なぜなら、人が故郷で自文化を維持・継承する際の動機も多様であり、また、人は故郷でも他者との出会いの中で暮らしを営むからである。この多様性に目を向ける時、人は文明の理を解くことができても、文明そのものを把握することはできないのが道理であることが示される。ユリィ・ロトマンは、存在しない不変のものの像で変化する現実を把握しようとするところに人の認識の本質があると論じたが、それで何かを把握したつもりになるのは錯覚だと説いたのは、フランスのアンリ・ベルグソンであったか。

翻って、現代の国際社会はどうか。例えば、国連安保理の常任理事国は、ベトナムで400万以上、シリアで46万以上、イラクでは 10 万から 60 万の民間人を犠牲にし、アフガニスタンでは犠牲者数を隠しながら、20年間、特殊な軍事作戦を続けた。短期間に終わったとはいえ、セルビアでの軍事作戦でもやはり民間の犠牲者数を隠している。これらと比べると民間人の犠牲者数はかなり抑えられているとはいえ、国連安保理の常任理事国による軍事作戦は本稿執筆時も東欧で続いている。

最後の作戦の発動日に在外ロシア正教会の首座主教は、自らの信者にニューヨークから、“マスメディアやSNSの過度の視聴を控えつつ、平和を求めて祈る”ことを勧め、シカゴにいる彼の同僚は、“平和を求める祈りは、聖堂に集い声を揃えて行なう”ことを勧めた。ロンドンやベルリン、ヴヴェィやシュトゥットガルトにいる彼らの同僚は連名で、子どもや老人を災難に追いやる衝突に先行するのは、誰かの一方的な態度や敵意であるから、誰かの描いた出来事の「一方的な図」や、裁判官ではないのに、「裁判官の役目を引き受ける」人々に警戒しつつ、国や民族で人を隔てず、歴史を見つめつつ平和と真実を求めて連帯することを説いた。キーウにいる彼らの同僚は現地の信者に、「重苦しい試練」が神から与えられていると述べ、「救い主における一致」の回復を説いた。

ロシア正教会の指導者らは、一方で公的な祈り(教会での礼拝)を私的な祈りと分けている。これは、古代ローマ帝国の時代から続く教えによる。他方で彼らは、それぞれの土地で信者のひとりひとりを祝福し、励ましてはいるが、公的な場で公的な立場の人の政策を批判することを謹んでいる。このような形で、自らの奉仕を私的な分野とみなす近代社会の規範(政教分離)も守っている。

この 2 年間、祖国の元首を公的な形で非難しないことを理由に、彼らを非キリスト教的であると批判する人がいる。確かに信者数でみれば、南欧にいる「神の子の代理人」を頂点とする団体や、その団体を西欧の「改革者」らの思想に基づいて離脱した諸集団の末裔が、現在のキリスト教信者の中では多数派である。だが、今もナザレのイエスが歩いた土地で主に奉じられるキリスト教は、「神の子の代理人」を認めず、「改革者」一派の誘いも断った人々の“オーソドックスな”キリスト教である。そして、“オーソドックスな”キリスト教をギリシア人から継承したロシア人は、それを保持しつつ、現代にアップデートしている。

どの派の教えが正しく、どの派の教えが間違っているという問題ではない。ただ、“キリスト教は、西欧で生まれたものではなく、まして米国で生まれたものでもなく、地中海世界東部で生まれ、その数世紀後に文化も文明も異なる人々によってアレンジされたものが西欧と米国に普及した”のであるから、現代の西欧人と米国人のモラルとエティカを背景としないキリスト教が現代、そして未来に平和をもたらす可能性に光を当てたいと思っている。

(東海大学)