ニュースレター第79号巻頭言
比較文明学のこれまでとこれから─ 40 周年記念誌の編集を通して
松本 亮三
理事会での指名により編集委員長に就任したのは、2020年11 月21 日の第38 回大会役員会であった。同時に副委員長として指名された佐々木一也理事と相談して、原田憲一前会長、加藤久典副会長、島田竜登理事、横山玲子理事に加わって戴き、学会創立40周年記念出版編集委員会を立ち上げてから、2 年半の歳月が流れた。今、ようやく記念誌が形を取りつつあり、本年9 月には出版できる運びとなった。1983年10月に公表された学会設立趣意書の趣旨やこれまでの経緯、現代の状況を考え併せ、そのタイトルを『人類と文明のゆくえ─ 危機に挑戦する比較文明学』とし、4部構成とした。第1 部「日本とアジアを読み解く」、第2 部「現代を問う」、そして第3 部「文明の再構築に向けて」が論文集を構成し、ここに20 篇の論文を収めた。第4 部「比較文明学の四〇年」は、学会の歴史記録にあて、学会全体と支部・研究会の歴史を記述すると共に、学会を指導して来られた諸先達の回想を収録している。出版に寄せて挨拶文を頂戴した伊東俊太郎名誉会長をはじめ、34 名の執筆者による総計約540 ページという、これまでにない大部な記念誌となった。
副題を「危機に挑戦する比較文明学」としたが、第4 部第1 章「比較文明学会の歩み」で書いたように、比較文明学会は、この40 年の間に世界の様々な危機に直面し、その解決を模索し議論してきた。第二次世界大戦後続いた東西冷戦構造は、学会創立の頃揺らぎ始め、1991 年末ソ連崩壊によって世界は新しい時代に入った。1993 年からは「文明の衝突」が議論され、2001 年は衝突を回避すべく「国連文明間の対話年」とされたが、9 月11 日にアメリカ合衆国で同時多発テロが起こり、また、グローバル化に伴う国民国家の行き詰まりが顕在化してくると、ネットワークとして姿を現し始めた〈帝国〉が議論されるようになった。2011年3 月11 日にわが国を襲った東日本大震災は福島第一原発事故を引き起こし、人類文明の進展と生態系の破壊との深刻で不可避的な連関を問題とせざるをえなくなった。年次大会や『比較文明』で行われた議論には、このように顕在化した危機のみならず、人類文明に潜在する危機に挑戦してきた学会の姿を見ることができる。
2014 年、私が会長在任時に出版された30 周年記念誌は『文明の未来─いま、あらためて比較文明学の視点から』であった。これと較べると、『人類と文明のゆくえ』という書名のトーンは暗い。それは、この10 年の間に、人類と文明の危機が益々大きくなってきたからにほかならない。近年、我々は新型コロナウイルス感染症に悩まされ、ロシアのウクライナ侵攻に衝撃を受けてきたが、それに留まらず、温暖化が進行する地球全体の環境危機、生成AIを生み出すに至った科学技術と人間性との相克、現今の政治経済体制や倫理性の在り方をめぐる諸問題等に直面しているのである。
現代の人類と文明の問題を象徴的に表しているのが、「人新世(Anthropocene)」である。つまり、我々が生きている現代は、46 億年の地球史を構成してきた自然過程としての地質時代ではなく、人類自身が地球を改変して作り上げた地質時代になったという認識である。30 周年記念誌『文明の未来』が提起した主題の一つが、比較文明学は「生態智」を重視した総合知であるべきということであった。10年後の今、我々がなすべき認識は、人新世という概念が人類文明史と地球・宇宙史の連関を析出したように、人類と文明の在り方を、地球さらには宇宙という全生態系の時間軸の中で捉え直すことから始まるように思われる。
1977 年、カール・セーガンは、その著『エデンの恐竜─ 知能の源流をたずねて』(1978 年邦訳)において、宇宙の全歴史を1 年間に置き換えた「宇宙カレンダー」を作成し、人類史が12 月31 日の午後10 時半にようやく始まることを示した。2014 年には、デヴィッド・クリスチャン等が『ビッグヒストリー:われわれはどこから来て、どこへ行くのか』(2016 年邦訳)を著し、人類と文明の歴史を、その未来も含めて宇宙史の中で理解しようとした。これらは、比較文明学が必要とする総合知の基礎となりうるものであろう。これのみで人類と文明が直面するすべての問題の解決を図りうるわけでは決してないが、学会設立趣意書に言
う「宇宙船〈地球号〉の遊曳のなかで生きつづけ、世界文明の形成」を志向する上で、我々を取り巻く全現象・全過程を統合して考察する視点が必要とされていると思われるのである。
(東海大学名誉教授)