第86回研究例会(9月19日)のお知らせとレジュメ
トインビーを21世紀の視点で読み直す
第86回研究例会(9月19日)のお知らせとレジュメ
「トインビーを21世紀の視点で読み直す」を総合テーマとして、
第86回研究例会を先にお知らせしたように下記の形で行います。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
期日:9月19日(土)
時間:1時から4時まで
会場:中央大學駿河台記念館(千代田区駿河台3−11−5)
レジュメ
寺尾寿芳氏(南山宗教文化研究所非常勤研究員)
テーマ:「《神学者》トインビー」
第二バチカン公会議以降、カトリック教会は従来の「閉じた教会」から「開かれた教会」へと大きく方向転換した。その影響はカトリック教会内部に留まらず、プロテスタント諸教派はもとより、今ではキリスト教以外にも広く及んでいる。この流れのなか、キリスト教会は世界宣教に関する説明責任を要求されるようになったが、そこでは西洋文明の世界拡大につきまとう暴力性が厳しく問われている。同時に、神学においても教義からの演繹的規定機能ではなく、歴史的社会的事実からの帰納的発見機能が主要な焦点になりつつある。その一方で、この問題を語る上で欠かせない他者性の位置づけに関しては依然として難問のままである。
このような状況下、かつて批判者からそのキリスト教的発想の残滓を厳しく指摘され、論難されたトインビーの思索は、現代神学の新展開において移入活用される形で再生する可能性を秘めている。事実、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現教皇ベネディクト16世)も著書においてトインビーに言及している。
本発表では、われわれになじみ深いトインビー思想の支持者・継承者による諸見解を分析・受容しつつ、かつトインビーへの批判者による主張も反照系として視野に収めたうえで、トインビー思想に読み取れる洞察が今後ますます重要性を増す神学的「コモンセンス」の源泉となりうる可能性を模索してみたい。言うまでもなく、ここで「《神学者》」という風変わりな呼称は、頑迷な神学の領域へとトインビーの思想を矮小化することを意味するのではなく、一神教の闇を認めつつ、闇あればこその光を求める〈神学者ならざる神学者〉の顕現という、否定を通過した解釈学的状況を反映しているのである。
近藤喜重郎氏(東海大学非常勤講師)
テーマ:「トインビーのロシア観とスラブ観 ー『歴史の研究』に見る」
本発表は、トインビーの『歴史の研究』におけるトインビーのロシア観とスラブ観を検討することを目的とする。トインビーの『歴史の研究』は、世界の諸文明を中心文明と周辺文明とに分類した、比較文明学史における画期的な研究である註)。無論、ロシアとスラブは、同研究の主題ではない。むしろ両者は、同研究においてビザンツないし正教文明の「子」ないしその「第二の拠点」として、西欧文明の第一の比較対象であった。また当時のスラブ民族の動向は、トインビーの「歴史的思考の相対性」を説明するうえで重要な契機であり、ロシアは、その長い執筆期間を通して、位置づけを長く迷わせる困難な素材の一つであった。ゆえに、その名の使用状況は、トインビーにとって、ロシアとスラブが世界史においてどのように位置づけられていたかを検討するための指針となるであろう。
奈良修一氏(財団法人 東方研究会 研究員)
テーマ:「トインビーの東南アジア観 ー 仏教徒の目から」
トインビーの文明観では、世界には、二十二の社会、文明があるとする。しかし、この中には、「東南アジア」は含まれていない。もともと、この「東南アジア」の語が一般に使われるようになったのは、第二次世界大戦以降であり、その示す地域概念が完全に確定されたのも、1960年代以降、つまり、この地の国家が皆独立してからと言って良い。
この地の特徴をどのように捉えるかという問題は、「東南アジア学」の中心的な問題でもあった。フランスのセデスは、「インド化された国々」という概念を提唱した。重要な概念ではあるが、これだけでこの地域を定義するのは無理である。というのも、ヴェトナムに代表されるシナ(中国)文明を受け入れた地域を含むことができなくなるからである。
現在の研究では、この地域の特徴として、「海域世界」、交易によって成立する「港市国家」が挙げられている。
また、この地域は、13世紀のモンゴル帝国の時代以降、つまり「近世」以降、一般の人々に信仰される、上座部仏教とイスラームがそれぞれ大陸部、島嶼部に普及した。
上記の概念を使用し、この地域に大陸部に普及した、上座部仏教に焦点を当てて、トインビーの文明観を再評価する予定である。