ニュースレター第49号巻頭言

「アメリカ文明の特質とは?」   森孝一

 「9.11」直後の演説でブッシュ大統領は、「同時多発テロ」攻撃を「文明に対する攻撃」と位置づけた。ブッシュにとって、この場合の「文明」とはアメリカ文明であり、それは同時にグローバル化する世界にとっての規範的あるいは普遍的な文明であったに違いない。

 「アメリカ文明とは何なのか。その特質は何か。その本質は何か。」私はここで「アメリカ文明の特質」をつぎのように要約したい。移民による多元的社会であるアメリカは、「多様性を最大限まで認めつつ、同時に多様なものを一つに統合しなければならない」という宿命を背負っている。この宿命がアメリカ文明の特質を作り上げてきた。多民族国家アメリカが多様性を認めていかねばならないことは当然である。それでは、そのような多元的なアメリカを、アメリカは何によって統合していけばいいのか。

 現代ドイツを代表する神学者のひとりであるユーゲン・モルトマンは、このようなアメリカ文明の特質をつぎのように的確に言い表した。すなわち、「アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の個別の民族的アイデンティティへと逆行してしまう国である。」モルトマンがこの論文を発表したのは1977年のことであった。しかし、彼の予言はアメリカにおいてではなく、1991年にソ連において現実となったのである。アメリカと同じく多民族国家であった旧ソ連は、国家としての「共通の過去」を持っていなかった。多民族国家ソ連を統合していたもの。それはマルクス主義イデオロギーに基づいた理想社会を実現するという「共通の未来」であった。その「共通の未来」が崩壊したとき、ソ連は「昔の個別の民族的アイデンティティへと逆行し」、民族と宗教を核とする12の共和国へと分裂していった。

 民族とは「過去を共有する人びと」と定義することができる。人種が同じでも、異なった過去、異なった歴史を歩んでくれば、異なった民族が造り出される。文明にも共通したところがあるのではないだろうか。「共通の過去」によって造り出される文明。それは文明の一つの型である。その「共通の過去」を造り出すものとしては、風土、気象、歴史、文化、宗教など、さまざまな要因があるだろう。しかし、「共通の過去」を持つことのできない文明があるのも事実である。「共通の過去」によって統合することのできない国家や文明は、「共通の未来」による以外に統合の道はない。「共通の未来」とは、いまは存在していないが、未来において実現をめざすべき理念であり理想である。すなわち、旧ソ連やアメリカの文明は、「理念によって形成される」という文明のもう一つの型であるといえよう。

 アメリカはアメリカ革命による建国と同時に、アメリカがめざすべき「共通の未来」を国民と世界に対して宣言した。それが「独立宣言」である。その中心部分を引用しよう。「すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利を与えられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている。」

 啓蒙主義の中心的理念である基本的人権。それを「すべての人間」(all men)において実現すること。それがアメリカの建国の理念であり、アメリカがめざすべき「共通の未来」であった。この「共通の未来」を実現しようという「共通の意志」によって、多様なアメリカは統合されてきたのである。

 ブッシュ大統領は「対テロ戦争」とイラク戦争の大義として、「自由と民主主義を実現すること」を掲げた。これはブッシュ大統領の個人的信念であるのではなく、アメリカ文明の根幹である。「自由と民主主義」を抑圧している全体主義と戦うこと。そして、「すべての人間」に啓蒙主義の理想を実現すること。これがアメリカの建国の理念であり、アメリカ文明の中核である。

 アフリカ系アメリカ人であるオバマが民主党大統領候補に選出され、アメリカ史上、最初の黒人の大統領となる可能性は小さくない。オバマが人びとの心を強くつかんだのは、彼がアメリカにとっての「共通の未来」を力強く語り、分裂しているアメリカの統合を呼びかけたからだった。アメリカは「国内的には」遂に、「すべての人間」の平等の実現を、人種の壁を越えて実現するのかも知れない。しかし、アメリカは今なお、「国外の問題」においては、「すべての人間」が属している個別の文明は相対的価値を持ったものであり、アメリカ文明もそのうちの一つに過ぎないという認識には至っていない。

(同志社大学大学院神学研究科)

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