ニュースレター第49号「研究の現場から」
原理主義者の在り方~インドネシアのイスラム教と社会~ 加藤 久典
イスラム教では、スンニー派とシーア派の存在がよく知られている。その派生の源はイスラム教の歴史に求めることができる。しかし、その伝統的イスラム教の宗派とは別に、例えばインドネシアでは異なるイスラム教の流れを見ることができる。いわゆる原理主義派と自由主義派だ。
現在、私が最も興味を持っているのは、イスラム教という一つの宗教において何故、教義解釈や社会的態度の異なる原理主義派と自由主義派が生まれてきたのか、ということだ。その理由は一体何なのか。それを探求するには、まず原理主義なり自由主義なりを推し進めるムスリム(イスラム教徒)が存在する社会のあり方、ムスリムそのものの置かれた状況、またムスリムの個人的背景にまで迫ることが必要だと感じている。
それらの数々の要素を調べる過程で、一つ気づいたことはいわゆる原理主義者と呼ばれているムスリムたちを全体として括ってしまうことの危うさである。換言するならば、ムスリムが原理主義的態度を示す場合には、極めて個人的な要素が重きをなし、宗教的純粋性も個人により大きく異なるということだ。よって、ある一つの「原理主義的現象」を見て、“イスラム化”が進んでいると断じるのは、極めて不適切である。
例えば、インドネシアには有力な「原理主義グループ」がいくつか存在している。世界的なネットワークを持つヒズブット・タフリール(HT)、アブ・バカール・バアシールが率いるマジュリス・ムジャヒディン・インドネシア(MMI)、また 過激な行動で知られるフロント・プンベラ・イスラム(FPI)などである。しかし、彼らを見ていると、原理主義的行動を示しているのは確かなのだが、その「在り方の源」が全く同一なものとは思えないのだ。
「宗教の純粋性の追求」や「コーランの深い理解」を自らの「在り方の源」として掲げ行動する原理主義ムスリムも存在する。特にHTのメンバーにはこの様なムスリムが多い。その一方で、神学的な要素よりも、自らの社会的欲求や経済的状況により「原理主義的」行動をとるムスリムもいる。
去年、これまでに何度もインタビューを行い、個人的な信頼関係のできたあるFPIメンバーに父親の死を祈念する集まりに招待された。彼の生まれはジャカルタ、生粋のブタヴィ人(ジャカルタの先住民族)である。数年前、断食月に酒類を扱っていたカフェを襲い、逮捕、投獄された経歴の持ち主だ。
ジャカルタはスハルト政権時代から急速な開発が進み、多くの先住民は一部の裕福な地主を除き、外国人を含めた「よそ者」に故郷を奪われ、社会の隅に追いやられているというのが現状だ。そのブタヴィ人たちが、自らのアイデンティティと社会での存在の意義を何らかの形で示したいと思うのは、自然なことだろう。それが、イスラム教を媒介として行われていても不思議ではない。なぜなら、それはアラーにより認知された、「神聖な行為」だからである。
その祈念式には、多くのFPIメンバーが列席していた。コーランを暗誦する時には、そのメンバーのほとんどが口を開かなかった。恐らく彼らの多くは、コーランを暗記することよりも、ポルノ雑誌に対する反対やイスラム教の異端派アフマディアを攻撃する「実践的方法」がイスラムの正道だと信じているのである。彼らの行為はアイデンティティ獲得の方法であり、社会における自らの価値と評価を求める過程であると言ってもいいのかもしれない。
私の知るそのFPIメンバーの「在り方の源」は、アラビア語によるコーランの徹底的な理解と実践、カリフ制の復活を第一に掲げるHTメンバーとはやはり大きく異なる。そのことの理解なしに、社会における宗教現象を正しく分析することはできないと思う。例えて言うならば、反政府集会が「原理主義グループ」により開催され、多くの市民が参加したとしても、そのことが即「インドネシアの原理主義化・イスラム化」にはならないということである。多くの参加者は、極めて個人的な欲求の発露としてアラーにより認知された(と彼らが考える)大衆行動に加わったに過ぎないのだ。
私は今後、自ら見ることにより、また観察することにより原理主義者及び自由主義者の「在り方の源」となるものを注意深く解き明かしていきたいと思っている。そのことが、宗教と社会の相関関係を明確にする一つの手段だと考えるからである。
(インドネシア・ナショナル大学)