ニュースレター第57号巻頭言
比較文明学会創立30周年に向けて 伊東俊太郎
来る2013年に、日本比較文明学会は創立30周年を迎えることになる。それは1983年12月20日、東京芝の共立薬科大学の新講堂において、当時の国立民族学博物館館長梅棹忠夫先生の記念講演とともに創立総会をもち、新たに設立された。従来、ともすれば世界の文明をただ受容し咀嚼するに止まる受動的な態度から脱し、あえて世界の諸文明の構造をこちら側から積極的に独自に研究し、その間の関係を明らかにし、よってもって地球世界の平和的共存に資そうとする壮志をもって、日本の東と西の研究者をうって一丸としてつくり出された全国的学会であった。その創出はひとつの文化的な画期的事件であったと云ってよいであろう。
1985年11月19日には、学会の機関紙『比較文明』創刊号が「比較文明の地平」なる特集の下に発行されたが、その冒頭において初代会長の任をおうこととなった筆者は、次のような趣旨を述べている。
「比較文明論は、21世紀へと向かう今日、まさに要求されている新たな必須の学問分野である。……地球上に存する多様な文明の独自な価値をそれぞれ認識しつつ、その比較研究を通して相互理解の橋を架けることによってのみ、これからの地球社会の調和ある発展を望みうるのである。
こうした比較文明論は、我が国において育たねばならない。なぜなら比較文明という知的営みは、自己中心の独善から離れて、諸文明を等距離において公平な観察や判断を行うものでなければならないが、それゆえ大国主義や中華主義にはなじまず、また発展途上国の陥りがちなナショナリズムのよくするところではないからである。……この恵まれた地歩を生かして、我が国に比較文明学の新たな地平が開拓され、21世紀に向かう地球社会の生存と発展に大きく寄与することは、……我々の学問的責務である。
今や西欧中心の色眼がねで、諸文明を切って見る時代は終わった。我々は我々自身の文明の座標をもたねばならない。しかしそれが西欧中心の裏がえしのアジア中心であったり、いわんやかつての日本中心のような狭隘な視座のものであってはならないであろう。むしろ人類の代表として世界文明の公正な行司役となり、来るべき地球社会の共通財産となるようなものであることを期したい。」
今でもこの思いは変わっていない。
以来、第2代会長吉澤五郎氏、第3代会長染谷臣道氏のもとで、比較文明の重要なテーマが次々にとり上げられ、活発に論ぜられ、学会誌も最近号第27号の特集「自然の、自然による、自然のための文明をめざして」まで、着実にその成果を挙げ続けてきた。そして本年度(2012)からは、さらに第4代会長松本亮三氏のもとに、いっそう大きな発展をとげようとしている。比較文明学は今や世界的に見ても、アメリカと並んでここ日本において、最も盛んで創造的に発展している研究分野となっている。
21世紀に入って、比較文明学は三つの事件によって新たな課題に出会っていると思われる。それは?2001年9月11日の米国同時多発テロ、?2009年9月15日のリーマンショック、?2011年3月11日の東日本大震災の三つである。
まず?の3.11については、文明と自然との関係において、深い再考察が要求されている。このことは、云うまでもなく環境問題に深く関わるが、同時に文明における科学技術の在り方というものの抜本的反省を我々に課している。
次に?の9.15については、文明と経済の関係において新たな考え方の提起が必要とされている。狂奔するマネー資本主義をどのように超え出て行くか、また文明といわゆる経済的「成長」との関係をいかに見直してゆくかが真剣に問われねばならない。
?の9.11は、根本的には文明間の平和的共存をいかにして樹立するかという、比較文明学の本来の課題に立ち向かうことになる。これと関連して、最近の「アラブの春」の後の「サラーム・ワールド」の形成、「EUの経済体制」の再編、「東アジア共同体」の実現、「環太平洋文明交流圏」の登場など、これまでの「文明交流圏」の先に存在する現代的諸問題がひかえている。
我々はこうした問題に対して、積極的に独自な洞察をもって貢献せねばならないだろう。日本の比較文明学の大きな前進が期待されている。
(東京大学名誉教授、比較文明学会初代会長)