ニュースレター第59号「研究の現場から」
私の現在の研究関心の中でとりわけ大きいものに、戦後日本の「単一民族幻想」の問題がある。この問題を考える前提として、「日本人」が絶対値でも相対値でも大きな民族であることを確認しておかなければならない。1億3,000万人近くの「日本人」と呼ばれる集団は、世界でも大きな民族の部類に入る(世界に1億人を超える民族がどれだけいるだろうか)。そしてこの集団は、日本国の人口の約99%を占めているのである。このような自らの巨大さと、「日本人」を生み出した原因に気づくことなく、「日本人」とされる人々は「単一民族」の幻想の中で戦後を過ごしてきたのである。
「単一民族幻想」の問題は1986 年に当時の中曽根康弘首相が発した「単一民族発言」で前面化したが、小熊英二の『単一民族神話の起源』などにより、これが戦後に形成されたものであることが徐々に明らかになってきた。
この問題は、戦前と戦後の日本の「断絶と継続」の問題と関連していると私は考えている。1990年代からの「1940年体制論」「総力戦体制論」などの研究により、戦後日本の政治・経済体制は、実は戦前から継続している部分が大きいことが徐々に明らかにされてきた。しかし、断絶の要素ももちろん多くある。たとえば日本国憲法の制定によって人権が保障されたことなどもそのひとつである。しかし、私は戦前・戦後の断絶の中でも最大のものは、日本国が連合国の保護のもとに、労せずして無責任に植民地を捨て、忘却してしまったことなのではないかと考えている。
戦前の大日本帝国は多民族国家であった。「日本人」にくわえて、アイヌやウィルタなどの先住民族、朝鮮人や台湾人などの植民地民族が日本国籍を持っていたのである。しかし、1947年5月2日の「外国人登録令」(大日本帝国憲法最後の緊急勅令)により、朝鮮人と台湾人は「外国人」とみなされ、1952年のサンフランシスコ講和条約発効とともに国籍を喪失した。すなわち、日本は植民地民族を「外国人」にしてしまったのである。また、朝鮮と台湾の支配自体は、アメリカとソ連に簡単に引き渡してしまった。
こうして日本国は、植民地とそこに住む民族を無責任に捨て、国内の旧植民地民族は外国人として、植民地支配の責任と記憶を忘却していくことになる(ただ、先住民に対する残酷な支配についていえば、戦前と本質的に変わることはなかった)。
ここは非常に大きな問題であると私は考えている。日本は無責任に簡単に植民地を捨て、忘却したことによって、「近代」の理想のひとつである「純粋な国民国家」を実現し、「日本国」「単一の日本人」というアイデンティティを形成したと考えられるからである。そしてこの事実は、「国民国家」というものがいかに人工的に形成されるか、またその形成過程がいかに忘れられるかという、近代のあらゆる「国民国家」に普遍的な問題を極端なかたちであらわしているのではないだろうか。
もちろん、現在の日本国は「単一民族幻想」を公式には否定し、「多文化共生」が一見反対しがたいスローガンとして飛び交うようになっている。また単一民族幻想が幅を利かせていた時代も、自治体レベルの施策や市民運動などによって「外国人」の権利を保障しようとする動きはずっと続けられてきた。そして1980年代の先住民族の権利の保障という国際的潮流と、それに反する中曽根発言によって、日本の先住民の権利を保障しようという動きも公式に始まった(現在のところ、在日外国人の権利も、先住民の権利も、いまだ非常に不十分なものではあるが)。
現在の日本における排外主義的な運動や言説は、公式に「多文化」「多民族」が認められた(ように見える)ことの結果であるところが大きいのではないか。忘却していた他者の出現を恐れ、それによって自らのアイデンティティを脅かされているように考える人々が、そうした排外的な言説や運動に走っているのではないだろうか。これも、近代の「国民国家」の負の面のひとつであると私は考えている。
今後、私は国民国家としての日本国の問題を、現代世界の中に位置づけなおし、さらに「近代」の普遍的な問題のひとつとして考えようと思っている。さらに、当然ながらこれに、日本の戦争責任の問題も考えあわせなければならない。1億人以上の「日本人」が人口の約99%を占める「日本国」という存在は、近代の、そして現代世界の「国民国家」の問題を極端なかたちで体現しているのではないかと思われるのである。
(立教大学兼任講師)