高橋誠一郎『黒澤明と小林英雄−「罪と罰」をめぐる静かなる決闘−』

成文社、2014年7月31日

ISBN978-4-86520-005-8 C0098

四六判上製 本文縦組304頁

定価(本体2500円+税)

1956年12月、黒澤明と小林秀雄は対談を行ったが、残念ながらその記事が掲載されなかったため、詳細は分かっていない。共にドストエフスキーにこだわリ続けた両雄の思考遍歴をたどり、その時代背景を探ることで「対談」の謎に迫る。「原子力エネルギー」への2人の対応はどうであったか──

■目次

はじめに──黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎

 一、フクシマの悲劇

 二、映画《夢》と『罪と罰』における夢の構造

 三、消えた「対談記事」

序 章 「シベリヤから還つた」ムィシキン──小林秀雄のドストエフスキー論と黒澤明

 はじめに 不安な時代と小林秀雄

 一、「罪の意識も罰の意識も」持たない主人公──「『罪と罰』について I」

 二、「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」筋──「『白痴』について I」

 三、「アグラアヤの為に思ひ附いた画題」──ムィシキンの観察力と映画《肖像》

 四、小林秀雄の主人公観と「全編中の大断層」という創作

 五、『白痴』の結末をめぐる解釈と黒澤映画《白痴》

 六、本多秋五の問いと黒澤明のドストエフスキー観の深まり

第一章 映画《白痴》の魅力と現代性──戦争の「記憶」と洞察力

 はじめに 黒澤明のドストエフスキー観と映画《白痴》

 一、復員兵の深夜の「悲鳴」

 二、「分身」という方法──映画《野良犬》と映画《白痴》

 三、黒澤明の芥川龍之介観──映画《羅生門》

 四、父と息子の対立と「気違いじみた生活力」──軽部(レーベジェフ)の存在

 五、「三角形の欲望」の視覚化と観察する力

 六、一対の花瓶と若い死刑囚の眼──『白痴』と『戦争と平和』

 七、燃えあがる札束とその後の展開

 八、ナイフと小石の象徴性

 九、「氷上カーニバルの夜」と『アンナ・カレーニナ』

 一〇、映画《白痴》の結末から映画《赤ひげ》へ

第二章 映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』──知識人の傲慢と民衆の英知

 はじめに 「第五福竜丸」事件と小林秀雄の原爆観

 一、「核の時代」と臆病な「知識人」

 二、「民衆」の行動力と「法律の手」による「束縛」

 三、黒澤明と『死の家の記録』──民衆芝居と「民衆」のエネルギーの描写

 四、小林秀雄の『死人の家の記録』観──主人公とペトロフの考察

 五、映画《ゴジラ》から《生きものの記録》へ──知識人のタイプの考察

 六、特集記事「ついに太陽をとらえた」と小説『太陽の季節』

 七、消えた「対談記事」と「イソップの言葉」

 八、映画《生きものの記録》から映画《この子を残して》へ

第三章 映画《赤ひげ》から《デルス・ウザーラ》へ──『白痴』のテーマの深化

 はじめに 映画《赤ひげ》と小林秀雄の『白痴』論

 一、映画《愛の世界・山猫とみの話》と『虐げられた人々』

 二、雑誌『時代』と小林秀雄の「大地主義」観

 三、映画《愛の世界・山猫とみの話》と「鬱蒼とした森」の謎

 四、「共犯者」と「治療者」──『白痴』の結末についての再考察

 五、映画《赤ひげ》における「師弟の関係」の描写

 六、『白痴』の結末とプーシキンの理念

 七、映画《デルス・ウザーラ》とタチヤーナの「夢」

 八、「エモーショナルな歴史認識」と「事実」の隠蔽

第四章 映画《夢》と長編小説『罪と罰』──知識人の「罪」と自然の「罰」

 はじめに 映画《夢》と「大地主義」の理念

 一、小林秀雄の『罪と罰』論と映画《罪と罰》評

 二、黒澤明とクリジャーノフの映画《罪と罰》

 三、「やせ馬の殺される夢」と民話的な世界──第一話「日照り雨」と第二話「桃畑」

 四、ソーニャと「雪女」の哀しみ──第三話「雪あらし」と脚本『雪』

 五、「殺された老婆が笑う夢」と死んだ兵士たちの帰還──第四話「トンネル」

 六、小林秀雄と黒澤明のゴッホ観──第五話「鴉」

 七、原発事故と「良心の呵責」──第六話「赤富士」

 八、「弱肉強食の思想」と「人類滅亡の悪夢」──第七話「鬼哭」

 九、ラスコーリニコフの「復活」──第八話「水車のある村」

あとがきに代えて──小林秀雄と私

初出一覧

小林秀雄関連の参考文献

付録資料

 一、長編小説『白痴』の登場人物と配役

 二、映画《白痴》・オリジナル版の構成

 三、カットされた後の映画《白痴》の構成

 四、黒澤明・小林秀雄関連年表

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