ニュースレター 第83号 「研究の現場から」

「メディア」としての宗教性とメディア世代の宗教性 ~比較文明の視点から

阿毛 香絵

スマートフォンアプリから礼拝時間であることを告げるアザーンが流れると、信者は立ち上がり礼拝前の小浄(ウドゥー)の準備をしに手洗い場へ向かう。今や世界のさまざまな国、地域に暮らすムスリムの、ありふれた日常風景である。筆者はセネガルを中心に西アフリカのイスラーム圏の日常生活をフィールドで経験してきたが、同時にフランスや日本のようにムスリムがマイノリティの社会においても、若い人の宗教実践や信仰について、生活の中で身近に見てきた。

2000年以降、宗教社会学や人類学的研究において、宗教コミュニティーや信者が新たな情報通信技術(ICT)やデジタルメディアを活用するようになったことが指摘され、研究されるようになった。[Eckelman 1999 : Bunt 2009 : Hackett,Soares and al., 2015 他]特にスマートフォンの浸透は、宗教実践とそこでの身体性、コミュニケーションのありかたを変化させている。

しかし、そもそもICTが浸透するはるか以前より、宗教性はさまざまな意味合いにおいて「メディア」を育んできた。「メディア」はラテン語で真ん中・中心などを意味するmediumに由来し、音、文章、声や映像などの意思、情報を伝達する媒体を表す。イスラーム文明は、高度に文字化されていると同時に、「音」を通した伝達の文化を育むことで、異なる文化圏を越え、人の視聴覚に訴える極めて身体的な伝達の文化を発展させてきた。神からムハンマドに下されたとされる啓示は、クルアーンという書物に集約されると同時に、それを礼拝時に一人一人の信者が暗唱することで、信者の身体を通し日々同時多発的に再生される。クルアーンを朗唱すること、あるいはスーフィズムにおいて神の名を唱え「想起(ズィクル)」することは、声や呼吸、抑揚、リズム、言葉や所作といった身体実践を通し、信仰、教え、そして神や共同体とのつながりの輪を確認する方法である。

アザーンについても、従来モスクを中心としてミナレットから呼びかける肉声のアザーンが聞こえる地理的範囲がコミュニティの単位としてとらえられ、声が聞こえなくなったところに別のモスクが建てられたといわれる。毎日の礼拝や金曜の集団礼拝で周期的に集まる人々は、モスクというローカルな「場」を介して知り合い、助け合う。こうした意味で、モスクもまた身体性を伴った信者同士の関わり合いをつなげる「メディア」として機能してきた。

このような宗教性の在り方は、キリスト教、神道、仏教、ヒンドゥーなど世界の異なる宗教文化に共通する。我々の認知する宗教性は、「教え」、すなわち理性的理論的に理解可能な教義や経典だけではなく、身体性、霊性、空間を介した「メディア実践」を日々伴うことで、初めて社会性の中に現れ出るからだ。セネガルでアザーンを聞くとき、ネパールやインドで早朝に寺院を参拝する人々の動きを目にした時、京都で早朝寺から静かに響く読経を耳にしたとき、強く感じることである。

「ローカルな」実践や身体化、空間化された人の宗教実践やつながりが多くの社会で今も生き生きとある一方で、一部の実践は、デジタル機器の機能に代替されることで変容してきている。植民地時代よりアフリカ社会を知るフランス人人類学者・社会学者ジョルジュ・バランディエは、ネット社会の浸透とそれに付随する社会の変化について、人間社会に大きな地政学的、技術的、そして認知上の変化と衝撃をもたらしたととらえ、それを 「新・新・世界(Nouveau-Nouveau Monde)」 と呼んだ [Balandier, 2018]。

そして今、異なる宗教、宗派に属す団体やコミュニティがより自覚的、積極的にICTを利用している。[Faimau;Lesitaokana, 2018 他]。西アフリカでは、ネット普及以前より、影響力のある改革主義系の団体「イザーラ」が、カセットテープ、CDやDVDなど、「スンナ・スモールメディア」と呼ばれる音声メディア媒体を通し布教をしていたが[Sounaye, 2014]、現在ではさまざまなイスラーム団体が独自のメディア会社を運営し、現地の流通言語で番組を放映したり、Youtubeなどネットを介したソーシャルメディアで公開する。宗教宗派問わず、お布施を電子マネーで受理するモスク、教会、宗教NGOも世界各地で増えた。スクリーン越しの祈りや占い、除霊や祈祷なども珍しくない。WhatsAppやSNSなどの音声メッセージやテキストをある程度プライベートなコミュニティ内で共有するアプリが汎用されるようになったことで、信者同士や宗教リーダーとのやり取りにおいても、SNSが活用されるようになった。

コロナ期以降の世代は、ICTを必要不可欠な日常の一部と捉える。AIの浸透以降は特に、記憶に加え自身の理性的判断そのものの補助器具としてこうした技術を利用する傾向にある。実は、日本の推し活世代の生き方も、こうしたデジタルネイティブ世代の宗教性と重なる。若者たちはスマートフォンやデジタル機器といったツールに助けられながら、自身を精神的に導くと考える存在を「メデ・タテマツル」ことで日々生きる活力を得ているからだ。そしてそれは、以前のマスメディア世代と比較して、多分に「個人化」されたものである─みんなのアイドルではなく、「私の」推し─。ときにそこに地縁、血縁とは関わりのないSNSを通じた新たな社会性が生み出される可能性も合わせもっていることは、興味深い。

Balandier, Georges, Carnaval des apparences, Paris, Fayard, 2018.

Bunt, Gary R. Muslims Rewiring the House of Islam, TheUniversity of North Carolina Press, 2009.

Eckelman, Anderson, New Media in the Muslim World: The Emerging Public Sphere, Indiana University Press, 1999.

Faimau, Gabriel ; Lesitaokana,William O, New Media and the Mediatisation of Religion: An African Perspective, Cambridge Scholars Publishing, 2018.

Hackett, Rosalind I. J. (Ed), Soares, Benjamin F. ; et al., New Media and Religious Transformations in Africa, Indiana University Press, 2015.

Sounaye, Abdoulaye, “Mobile Sunna: Islam, Small Media and Community in Niger”, Social Compass 61, no. 1, 2014.

(京都大学)