研究室訪問 第1回
吉野浩司(鎮西学院大学 現代社会学部教授)
私がP.A.ソローキンの名前を初めて知ったのは、学部の3年生の時で、卒業論文の構想を練っているときでした。1990年代はじめのことです。当時、農村から都市への人口移動に興味を持っていた私は、この分野で著名であった社会学者ソローキンを知ることとなりました。最初に手にしたのは『都市と農村』(厳南堂書店刊)という邦訳書です。その時は、数ある参考文献の1冊という感じでした。しかし同じ著者の『社会文化的動学』を手に取ったときに、何となく運命めいたものを感じました。それは初学者を威圧するような、各巻600ページを超す全4巻の巨大な本でした。この本を理解したい、というのが、私がソローキン研究にのめりこんだきっかけです。実際にページをめくってみると、高校までに学んできたような世界史の知識が、ソローキン独自の概念(「観念的」「感覚的」「理想的」)により、あるいは数多くの統計資料によって、整理されていました。そこには、社会組織や政治権力から、宗教・倫理・思想の歴史、あるいは戦争や紛争にいたるまで、あらゆる主題が取り上げられており、まさに快刀乱麻という感じでした。本書が、比較文明学会においてトインビーの『歴史の研究』にならぶ、最も重要な古典であることも知ることとなりました(もちろん当時としては、それほど明確な定見というものはなく、なんとなく、そんな感じがするという漠然とした印象でしたが)。
ソローキンのことを調べていると、ほんとうに興味は尽きませんでした。彼がロシアからアメリカに亡命した社会学者であること。ただの亡命知識人ではなく、20世紀前半にロシアのペテルブルク大学の社会学部、アメリカのハーバード大学の社会学部という、優れた大学の学部の立ち上げに寄与した、重要な学者であること。ロシア時代にはケレンスキー内閣を助け、亡命後はT.マサリク首相の招きでプラハに滞在したこと。アメリカでは社会学者として一時隆盛を極めたT.パーソンズの論敵であったこと。重要なアメリカ社会学者の一人であるR.マートンを育てた先生であったこと。そして比較文明学会では周知のことですが、晩年には、A.J.トインビーとともに、比較文明学会を創設した偉大な文明論者であったことなどです。
しかし同時に分かったことは、1968年の死後、ソローキンの名は、しだいに忘れ去られてしまい、私がソローキンを読み始めたころは、ほとんど言及されることのない学者となっていました。1990年代から2000年代の比較文明学会の学会誌をのぞいてみても、ほとんどソローキンの名前を見かけなくなっていました。しかし、例えば山本新『文明の構造と変動』創文社(1961年刊)など、かつての日本の比較文明論の古典的名著を瞥見してみると、ソローキンが大きく取り扱われていたことは明らかです。
偉大な業績と忘却のギャップ。その秘密を探りたいというのが、大学院から現在にいたるまで、私がソローキンを読み続けられている、真の理由かもしれません。これまでに私はソローキンに関する研究書を2冊出しています。1冊目は博士論文を再構成した、2009年に出された『意識と存在の社会学―P.A.ソローキンの統合主義の思想』(昭和堂)です。ソローキン研究のモノグラフとしては、日本で最初の本です。これは初期のロシア時代の著作から、中期の社会学的著作、そして晩年の文明論や利他主義研究までの主要な著作の一貫性を論じたものです。ソローキンとは何者だったのか。簡単に忘れ去ってよい学者なのか。その問いに答えようとした本です。
この拙著を出してからは、世界の社会学者たちが、これまでソローキンをどのように理解してきたのか、また現在どのように位置づけているのかに興味がわいてきました。そのような関心から、2015年以降の研究では、ソローキンのゆかりのある、ロシア、チェコ、イタリア、といった国々の社会学者たちのもとを訪ね、聞き取り調査を行ったり、文書館等での資料収集などを実施したりしてきました(写真:現在、ロシアで刊行中のソローキン全集)。そこで感じられたのが、ソローキン・リバイバルの気運でした。細々とではありましたが、ソローキンの学問と思想を継承しようとする人々が、世界各国に散らばっていることが分かりました。そこでは特に利他主義研究での再評価が、世界のソローキン研究のトレンドとなっていました。
そうした現地調査の報告をかねて上梓したのが、2冊目の拙著である『利他主義社会学の創造―P.A.ソローキン最後の挑戦』(昭和堂、2020年刊)です。ソローキンを良く知る者にとっても、これまで、とかく敬遠されがちであった利他主義研究という分野を、むしろソローキンの独創性がいかんなく発揮された分野であるとの立場から再評価したものです。そこでは特に、ソローキンが亡命知識人であることを強調しています。科学の研究の中にも真善美を盛り込もうとするロシアの知的伝統を引きずっているように感じられます。そのロシアの知的伝統をアメリカ社会学において根付かせようとしたこと。しかしそれはアメリカ社会学と、鋭く対立するものであったこと。その結果が、ソローキンが晩年になって利他主義研究や比較文明論という独自の分野を開拓せざるを得なくなった原因であったということが分かりました。そして、それらのことも、やはりソローキンがしだいに忘却されようとしている原因と、大きくかかわっています。さいわいなことに、本書は厚めの学術書にもかかわらず、比較的読者に恵まれ、これまでに3本の書評をいただいております〔熊田俊郎氏評『社会学評論』(第71巻第3号)、飯島祐介氏評『現代社会学理論研究』(第15号)、吉田耕平氏評『大原社会問題研究所雑誌』(765号 2022年7月号)〕。
ソローキンの忘却問題は、国際比較文明学会(ISCSC)でも事情は変わりませんでした。しかし、コロナが流行する前年の2019年の、ソローキン生誕130年に当たる年に開催された国際比較文明学会では、ささやかながらソローキンの小部会が組まれました。そこでの発表の機会が与えられたのを機に、ソローキンの比較文明学再考というテーマを自らに課すことにしました(写真:第49回国際比較文明学会にてAndrew Targowski氏と)。帰国後ただちに本学会に入会し、昨年2021年には中央大学で開催された第39回大会では、ソローキンを含むロシアの亡命知識人に関する研究を発表させていただきました。今後は、研究の焦点の1つを比較文明論の分野に定めて、とりわけソローキンの再考ならびに比較文明の哲学的、理論的、方法論的な基盤について、研究を深めていきたいと考えております。