ニュースレター第75号「研究の現場から」
人類の最大の脅威は何か 金子晋右
筆者の専門分野は、経済史である。経済史は、現代的課題を解決するために、過去の経済を分析・究明する学問分野である。
筆者は、2008年のリーマン・ショック直後、未曾有の経済危機の克服方法を明らかにするために、比較文明史的視点も取り入れ、「経済危機への対応:その比較文明史的考察」(『比較文明』第25号、2009年。『世界大不況と環境危機:日本再生と百億人の未来』論創社、2011年に、第1章として所収)を執筆した。その後、2009年の夏に政権交代が実現したが、鳩山民主党政権は財源問題に苦しみ、適切な経済政策を実施できなかった。そこで、財源問題の原因である根深い金本位制思考を打破するために執筆したのが、「ハイパー・インフレの比較文明史的考察」(『比較文明』第26号、 2010年。上掲拙著2011に第2章として所収) である。
2016年11月、米国大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利を受けて、世界は、これから脱グローバル化時代に突入すると予測した。なぜなら、世界はグローバル化と脱グローバル化を繰り返してきたからだ。同様に、日本の歴史も開国と鎖国を繰り返してきた。こうした問題意識の下で論考をまとめたのが、『グローバリズムの終焉と日本の成長戦略』(論創社、2018年)である。
そもそも近年のグローバル化は、覇権国家米国が、グローバリズムというイデオロギーに基づき、ワシントン・コンセンサスと呼ばれる政策群(緊縮財政、規制緩和、民営化など)を、世界各国に押しつけ推進してきたものである。ゆえに、米国が脱グローバル化に舵を切れば、グローバル化時代は終焉を迎える。
ではなぜ、米国は脱グローバル化に転換したのか。その理由は、グローバル化は先進国の労働者に失業や低所得をもたらし、労働者の命を奪うからである。一例を挙げよう。米国疾病管理予防センター(CDC) の調査結果によると、米国の10万人当たりの自殺は、1999年と2014年を比較すると、全年齢層・全人種の男性は16%、女性は45%増加した。白人の中高年(45歳以上64歳以下) に限ると、男性は59%、女性は80%も増加した(拙著2018:13-14頁)。
筆者は「グローバリズムは、世界中で多くの労働者の命を奪う」と指摘した(拙著2018:21頁)。中国・武漢市で最初に蔓延した新型コロナウイルスは、その後、瞬く間にパンデミック(世界的流行)となり、多くの人命を奪った。これにより、グローバル化が多くの人命を奪うことは、誰の目にも明らかになったはずだ。
筆者はまた、日本は「できるだけ早く準鎖国体制の準備をしたほうがよい」と主張した(拙著2018:97頁)。その理由は、覇権国家米国の国力低下により、世界の自由貿易体制の維持が、困難になりつつあるからだ。一部の人々は、「自由貿易を推進すれば世界平和が実現する」と、因果関係を取り違えて誤解している。現実には、平和や友好を維持できて初めて、自由貿易が可能となる。だが世界は今、平和や友好を求めない国々や人々が、急速に増加している。新型コロナ禍は、そうした平和や友好の喪失に拍車をかけた。友好も共生も、単独では成立しない。友好や共生は、互いが求めて初めて、成立する。平和や友好を求めない他者との共生は、困難である。他者の奴隷化や殺戮を推進する者との共生は、不可能だ。日本一国の国力では、世界平和は実現しない。ゆえに日本は、自由や人権を守る民主主義国家の友好国とのみ交流する準鎖国体制に転換するしかない。人権弾圧国家との貿易は、人道上の犯罪と言わざるを得ない。
だが残念なことに、いまだにグローバリズムというイデオロギーに囚われている者も多い。その典型例の一人が、菅義偉首相である。聡明な会員諸兄姉はすでに気づいているだろうが、新型コロナウイルスの封じ込めは、島国である日本の場合、水際対策をしっかり行えば、ニュージーランドなどのように、国内への流入を防ぐことができる。具体的には、不要不急の入国を禁止して入国者の総数を減らし、やむを得ない理由で入国する者に対しては、空港近くのホテルで二週間の強制隔離を行えば、新型コロナの流入を阻止できる。だが菅首相は、2020年の秋から冬にかけて、外国人ビジネス客の入国を重視してアルファ株(英国型変異株)を流入させた。2021年春には、デルタ株(インド型変異株)が流入しているにもかかわらず、いまだに二週間の強制隔離を行う予定はないようだ。
その理由は、外国人客こそが日本経済活性化の切り札だ、との誤解があるからだ。だが、経済統計は逆の事実を示している。観光庁によると、新型コロナ禍以前の2019年の訪日外国人旅行消費額は5兆円弱である。内閣府によると同年(暦年、以下同様)の日本のGDP(国内総生産)は561兆円強である。よって、日本経済のインバウンド依存度は1%未満である。同年の日本の輸出は97 兆円強のため、輸出依存度は17%である。
そもそも日本は、戦前も戦後も内需主導型経済であり、日本産業革命期の1890年代や高度成長期の1960年代の輸出依存度は10%前後以下である(拙著2018:150頁)。
したがって、内需と外需の二者択一を迫られた場合、日本がとるべき選択は、内需である。よって、徹底した水際対策によりウイルスの流入を防止し、国内の非常事態宣言をなるべく回避するのが最善の政策である。にもかかわらず、菅首相は経済統計を無視し、外需にこだわり、日本経済に大打撃を与えている。
人類の最大の脅威は、ウイルスよりも、イデオロギーなのである。
(佐賀大学)