ニュースレター第70号巻頭言

「グローバル文明」と「和」の思想 保坂俊司

 高度情報化技術の劇的な進歩により、情報の世界一元化ともいえるグローバル社会が実現しつつある。加えて科学技術の進歩は、ヒト、モノ、資本等の移動のグローバル化を一層加速させている。つまり、世界中が居ながらにしてネットにより瞬時に繋がり、又モノの移動も一層容易となっている。
 それは、これまで人々を隔てていた様々な障壁の低減化、特に伝統的な価値のボーダレス化であり、グローバル時代の光の部分である。しかし、その一方で、伝統的な価値観を殿損することになり、その反動、つまり、グローバル化の対抗現象ともいえる利己的自民族主義(新ナショナリズム)、ポピュリ.ズムなどの反グローバル化である。それはブレグジット、トランプ政権の誕生、異民族排斥運動等に象徴される、ここ数年急激に台頭している憂慮すべき現象である。更に、無秩序な経済の国際化による極端な富の集中と、格差社会の出現があり、これらは従来、国際社会が求めてきた諸文化・文明の相利共生を前提とする国際秩序の形成という目標への逆行ともいえる現象であり、いわばグローバル化社会の負の現象である。現代社会は、この新たな問題への解決の切っ掛けさえ見いだせずにいる状況である。
 とはいえAI・IT技術の急激な進歩により、あらゆる面で一層のグローバル化社会の形成が不可避であり、現在社会はこの相反する現象の混沌状態にあるといえる。そして、この混沌状況の解決こそ、グローバル時代に生きる我々に課された喫緊の課題である。特に、グローバル文明社会ともいえる高度情報化社会の基礎となる、多様なる文化、文明の共生を可能とする思想、特にその前提となると考えられる寛容思想の構築は急務である。しかし現状は、このグローバル文明時代を支える基本思想ともいえる、融和共生思想の構築に関して、十分な検討がなされているとは言い難い。
 第37回比較文明学会中央大学学術大会においては、グローバル文明社会を支える融和・共生思想の構築という、現代社会喫緊の課題に対して、日本文明が歴史的に育んできた融和・共生(「和(ワ:ヤワラギ)」)の思想を中心に、日本の融和思想の現代的な意義を検討し、更にその成果を世界に発信することで、諸文明の融和共生を可能とするグローバル文明社会構築に資することを目指す。
 というのも、近年その伝統がやや薄れている感があるが、比較文明学はその草創期以来「未来思考の学問であることを目指し、比較文明学の立場から時代が直面する諸問題の解決に取り組む積極的な学問でなければならない」との学問的なDNAを持ち、伝統的に各時代の様々な問題に比較文明学の立場から積極的に貢献してきた。
 以上のことから、第37回学術大会実行委員会としては、本大会を比較文明学会の伝統を強く意識し、グローバル文明社会の基本思想構築に積極的に貞献する学会としての方向を切り開く契機としたい、と考える。
 従来このようなグローバルな視点を持った研究は、欧米の研究者がリードするところであり、その主張も西洋の学的伝統に即したものが中心となりがちであった。しかし、グローバル文明下の世界は、従来のような啓蒙主義的な一方向からの発想だけでは対応できない多極化状況を呈しており、グローバル文明時代に相応しい、多面的な思考を融和統合する寛容思想の構築が不可欠である。つまり、相利共生を可能とするグローバル文明社会の構築には、世界中の英知の融和による新たな思想の創成が求められており、比較文明学会もその要請に応える使命がある、と思われる。
 というのも、日本は歴史的に世.界中の多様な文化、文明を平和的に融和し、その思想を創成して来た長い歴史があり、その思想的なキーワードは、聖徳太子以来「和(ワ:ヤワラギ)」である。以来日本社会は、多様な価値観・文明等の優劣選別を争うよりも、それらの融和を重視し、多様な文化を基とする平和社会を形成してきた。この点は日本の歴史を貫いており、それは単に文化のみならず、政治・経済の思想や制度にまで至るが、これらは特に近代に入り和辻哲郎や鈴木大拙、丸山眞男、さらには伊東俊太郎本学会名誉会長はじめ多方面の研究者が日本思想の特徴として指摘している。
 しかし、「和」の思想は、言葉としてはよく知られているが、従来の「和」の研究は、日本思想史や文化史の脈絡で言及することに止まっており、文明学からの総合的な検討は、なされてこないに等しかった。そこで、本大会では「和」の思想を、文明学的な視点から、総合的に研究することを目指すとともに、その成果を発足問もない中央大学国際情報学部の会場から世.界に向けて発信する。
                                                      (中央大学)