ニュースレター第46号巻頭言
化石美術館構想 原田憲一
化石美術館とは、現在は海底や湖底だが1億年後には地層として地表に露出するであろう場所を選んで美術品を埋蔵し、未来世界で、人間とはいかなる生き物で、いかに生きたのかを語らせるための美術館です。この荒唐無稽ともいえる構想を実現しようとする理由は、美術品と呼ばれるものはすべて、40億年の生命史上初めて、私たち人間が獲得した「美を求める心」と「美を表す手業」の結晶だからです。すなわち、人間に固有で顕著な生物学的特長は、野放図な物欲や暴力的な征服欲にあるのではなく、平和希求的な芸術的創造力にあることを明かす物証だからです。
そう聞くと、人はまず地球は1億年後も残っているのかと疑うことでしょう。しかし、46億年に及ぶ地球の歴史から考えれば、月サイズの天体と正面衝突でもしないかぎり、今後5億年間は現在と同じく「進化の舞台」であり続けると予測できます。とは言え、このまま人類が永続するというわけではありません。約6億年前にウミエラやクラゲのような大型動物が出現して以来、5回(数え方によっては12回)もの大量絶滅が生じているからです。しかし、それは決して原始的なアメーバーの世界への回帰ではなく、むしろ新たなる進化への契機でした。
たとえば、古生代末(2億5,100万年前)に生じた古生代型生物の大絶滅を経て中生代が始まると、ペルム紀に繁栄していた爬虫類から進化した恐竜が中生代を通じて大繁栄しました。一昔前まで、恐竜は図体の割に脳が小さいので知能が低かったと信じられていましたが、今では共同で子育てをしたり、集団で狩りをしたりするほど高い知能を持っていたことが判明しています。その恐竜が中生代末(6,500万年前)に絶滅して新生代が始まると、哺乳類が爆発的に進化し、700万年前に二足歩行する人類の祖先が出現し、道具を使って知能を発達させ、最終的に私たち人間(ホモ・サピエンス)が誕生しました。したがって、私たちを含む哺乳類が遠い将来なんらかの理由で大量絶滅しても、必ず陸上の生態系は復元し、新しい生き物が哺乳類以上に知能を発達させていくことは確実です。また、恐竜絶滅から6,480万年後に人間が出現した事実からすれば、次の絶滅から、早ければ5,000万年後、遅くとも1億年後には私たちと同等以上の知能を持った動物が存在すると予測できます。彼らは「自分とは何か」「どこから来て、どこへ行くのか」と自問し、その答えを求めて地層を順次掘り下げていきます。そして、1億年前の地層、すなわち現在の海底や湖底に溜まりつつある堆積物から大量の人骨化石とともにさまざまな遺物を発見しますが、その中で、この化石生物つまり人間の本質をもっとも直截的かつ雄弁に表す遺物が化石美術館の収蔵品です。
ここで、石像や金細工ならともかく、デリケートな織物や絵画などが1億年間も保存できるのかという疑問の声が上がるでしょうが、化石図鑑を手にとれば答えは明らかです。数億年~数千万年前の海底や湖底で静かに溜まった泥岩や頁岩には、動植物の骨や枝葉は無論のこと、カエルの皮膚や玉虫の翅の色まで残っているからです。したがって、天然の素材を用いた作品を適当な泥で密封してから梱包し、海洋地質学者が選定する場に沈めれば、まさしく「芸術の化石」として保存され、1億年後の陸上に露出するはずです。これに対して金属は、弥生時代の銅鐸や鉄剣が僅か2,000年ほど地中に埋まっていただけで錆びついているように、特殊な合金を除けば、とても1億年はもたないでしょう。最先端のIT機器などは泥で包めばたちまち機能を失います。たとえプラスチック部分が残ったとしても、機械部品という以上の意味は持ちえません。美術品ほどメッセージ性の高い遺物はありえないのです。
世界数ヶ所に設けられる化石美術館の収蔵スペースは広大なので、収蔵品のジャンルや時代や点数などを絞る必要はありません。選考基準は「人間とは何か」「どう生きるべきか」をいかに深く表現しているか、だけです。そして、1世紀ごとに収蔵することにすれば、まず国や民族のレベルで議論を重ね、最終的に世界的な合意を形成するための時間は十分確保できます。しかも、1億年先の未来から現在を逆照射する形で議論するので、過去のさまざまなしがらみや軋轢を避けて、現在の芸術的な到達点を評価することができます。次の到達目標を設定することもできるでしょう。さらに、収蔵品が1億年後へのメッセージになると同時に、その目録は私たちの未来を指し示す道しるべにもなることでしょう。「文明とは何か」を問う会員諸氏が、「芸術」にも目を向けて、本構想推進の主要な担い手になって下さることが私の願いです。
(京都造形芸術大学)