比較文明学会設立趣意書

 二十世記最後のと言ってもよい、もっとも<総合的な>学問をめぐって、いまやその学会を設立する時機が熟してきた。その学問は、言うまでもなく比較文明学にほかならない。周知のように、近代の学問は<分析>を基本原理として押し進められてきた。現代においてもその基本が変わったわけではない。だが、科学の危機が時とともに深く意識されるにつれて、<分析>の問題性もまた自覚され、総合への学問的努力がつみ重ねられてきた。そのような営みのなかで、今世紀もっとも総合的ないし包括的な性格を有すると考えられるのが、比較文明学なのである。しかし、このような学問がはたして学として成立しうるかについて、また、そのために、学会の設立もためらわれてきたのである。もちろんそこにはもう一つ別の理由があったことも忘れてはならない。それは、学会の存在が日本において、このあたらしい学問的創造のためにはたして有効かどうかという根本的な問題なのである。

 開国以来の日本の学問は、その文明的な時空の位置からして、ヨーロッパの近代的な学問を移植することからはじまった。その移植が日本文明のあらたな形成にとって、きわめて重要な意義をもつことは多言を要しない。だがそれ故にわれわれは、学問的営為の評価の基準も、いわば既成のものの移植にあるかのごとく思いなしてきた。ここに、日本の学問の問題状況があるといわなければならない。本来、学問的営為の評価の基準は、どこまでも創造にあり、したがって学会は学問的創造を推進させることに貢献するのが、その存在根拠でなければならない。この意味において、比較文明学会の設立は、このあたらしい学問そのものの創造に貢献することがもとめられ、また今日こそその好機ではないかと思われる。

 比較文明学は、19世紀後半から、言うならばヨーロッパの近代的学問の正系としてでなく、むしろ傍系として、歴史哲学、歴史社会学、文化人類学、比較歴史学などの境界領域として耕されてきた。今日、われわれは、一つの宇宙船<地球号>の遊曳のなかで生きつづけ、世界文明の形成というあらたな段階へ前進しようとしている。それだけに国際関係論および平和研究はいうにおよばず、科学、思想、芸術、宗教などすべての比較学の営為を集結して、過去・現在・未来へとわたる諸文明の構造や接触・変動を比較研究し、世界文明形成の一翼をになう運動に主体的にかかわっていくことがもとめられる。その意味において、学際的(interdiscip1inary)であるどころか、徹底的に超領域的(transdiscip1inary)に、しかも現代文明のなかで苦闘するすべての人々と連帯するために、開かれた学会として運営されることが目ざされなければならない。

 以上のような趣旨にもとづいて比較文明学会を設立する。できる限り広範囲な活動領域から、この趣旨に賛同される方々のご参加を望む次第である。

昭和58年10月